デボラ・マイヤー『学校を変える力 イースト・ハーレムの小さな挑戦』

学校を変える力――イースト・ハーレムの小さな挑戦

学校を変える力――イースト・ハーレムの小さな挑戦


ニューヨークにある公立学校による挑戦を描いた本。中にあるプロジェクトの様子など、参考になりました。

生徒たちは、最後の段階----上級学校----に進むと、多くの作業を必要とする十四のポートフォリオを完成させる課題に取り組まなければならない。このうち数学、科学、文学、歴史、芸術、社会奉仕/実習、自伝という七つの分野では、大きなプレゼンテーションを行なう。この「プレゼンテーション」は、少なくとも職員二名と、生徒が選んだ大人一命、他の生徒一名からなる卒業認定委員会に対して行われるもので、生徒たちは非常に真剣に、また熱心に取り組んでいる。このポートフォリオとプレゼンテーションは、生徒たちがいかにわが校で学んだかの主要な記録、つまり成績表に相当するもので、これをもとに卒業証書が授与されるのである。(略)生徒たちは七年生から作業を開始しているので、最終的に何をしなければならないのかよく心得ている。また、学期ごとに校内を移動して、六つ、あるいはそれ以上の卒業認定委員会に生徒メンバーとして出席しながら、この最終課程を見ておくこともできる。このようにすると、教師が委員会で発言できる時間はその分少なくなってしまうのだが、生徒たちにとっては、そのおかげで発表に必要なさまざまなスキルや作業ならびに思考の習慣を身につける経験を積むことができる。たとえば、単純に、委員会に見てもらう資料をまとめられるようになることや、ミーティングの手配や日程を決めたりすること、口頭発表したり、予期せぬ質問に冷静に自信をもって答えることなどである。(p.86)

解説で佐藤学さんが紹介している、ある講演での最後の質疑応答のやりとりが、笑えると言うか笑えないと言うか…

「最後に教育学者に期待したいことを一言お願いします」という要請に応えて、彼女は一言「何もありません(Nothing.)」

ひいい…(苦笑) でも、実践者としての自負があるだろうな。僕も、どちらに身を置きたいかと言われれば、実践者のサイドにいたいと思う。頭でぐちゃぐちゃ考えている方が好きかも、と思うことも多いけど。
以下、メモ。

p.vii「
これまでアメリカでは、学校はだれのためのものかという議論を踏まえた当事者による当事者のための学校づくりが、真摯に行われてきたとはいいがたい状況にある。我々の記憶のなかにある多分に美化された古き良き時代には、あえて学校で民主主義を追求する必要性を感じることはなかった。それは日常生活のなかで自然に学んでいくものだと思われていたのである。この愚かな考えが、いまの悲惨な現状を生んでいる。しかし、もし学校がまっ先に取り組むべき課題として民主主義の実現を掲げるならば、子どもたちが12年もの長い年月を過ごす学校生活は具体的にどのようなものになるのだろう。そして、そのような学校の実現は、経済活動、国際競争力、健康的な生活、といった学校が考慮すべき我々のいとなみ全般にどのような形で反映されることになるのだろう。

p.viii「
民主主義を標榜する教育は、(スタンフォード大学のリー・ショーマンいわく)「一方では敬意と尊敬、他方では懐疑と疑念」といういずれの経験も必要とする。それに加え、自分とはまったく違う人びとに対する共感も重視する。子どもたちがこのような経験を積むことのできる学校は、どのようにして実現するのだろうか。民主的な人びとの習慣は教育のなかで少しずつ形成されていくものであり、けっして我々が「生まれながらに」備えているものでも、また大人になる過程で自然と身についていくものでもない。選挙権を得る年齢に達するまでに、どのような経験を積んできたかということが重要になるのである。

p.xxvi
エッセンシャル・スクール連盟:
1984年に、ハーバード大学教育学部長のセオドア・サイザーが設立した、おもにハイスクールの改革を支援する組織。サイザーは『ホーレスの妥協』をはじめとする「ハイスクール研究」(1979ー1984)を行い、当時のアメリカの中等教育の問題点を鮮烈に描き出した。

「Less is more(少なく学ぶことがより多くを学ぶこと」などのいくつかの「共通原則」を掲げ、連盟加盟校はこの原則に沿った学校改革を行なっている。

p.6「
すべての子どもたちを問題にしている以上、教育が公的なものであるというのは最低限必要な条件である。もし多くのアメリカ人が公教育を放棄してしまったら----公教育に無関心になったり、あるいは特定の宗徒や人種やエリートだけを教育する私立学校を選択したり----公立学校は最後の手段となるまで選ばれない学校になってしまう。バウチャー制度やチャーター・スクールのような形で、公的支援が徐々に浸透し、補助金付きの私立学校の評判が高まれば、公立学校を支持している人びとの立場も危うくなる。(略)さまざまな政策を打ち出すことでかえって、最良の公教育システムをつくりあげようとする人びとの意志は弱くなってきている。「すべての子どもに学びの可能性がある」というこのごろよく耳にするスローガンは、結局、「わが子」にとって最良な教育と「他人の子」にとって最良な教育を区別するという、皮肉な二重構造の思想を反映したものになりかねない。

p.55「
我々の実践が他校にも広く適用できるものになるためには、この物語をモデルとしてではなく、ある一つの具体例として見る必要がある。そして他校でも同じような実践をその学校なりのやり方で、少しでも楽に----辛い思いをしてではなく----できるようにしていかなければならない。唯一の正しい、完璧に計算され精巧に考えられた解決策などどこにもないのだ。優れた学校というのは、すばらしい社会や家庭と一緒で、多様性のよさを認め合い、大事にしているものである。この先どうなるかなどだれにもわからないのだから、人生が予想不可能なものだということは当たりまえのことである。ある程度の方針と確かな目的がもてるようになれば、よりよい未来を手に入れる方法が一つではないとわかったときに、「あーあ、残念」ではなく「やったぞ!」という声が出るだろう。(略)たくさんの答えが成立する可能性を残しつつ、互いに恐れずほんとうのことを言いながら、十分な議論を重ねることが重要である。

p.86「
生徒たちは、最後の段階----上級学校----に進むと、多くの作業を必要とする十四のポートフォリオを完成させる課題に取り組まなければならない。このうち数学、科学、文学、歴史、芸術、社会奉仕/実習、自伝という七つの分野では、大きなプレゼンテーションを行なう。この「プレゼンテーション」は、少なくとも職員二名と、生徒が選んだ大人一命、他の生徒一名からなる卒業認定委員会に対して行われるもので、生徒たちは非常に真剣に、また熱心に取り組んでいる。このポートフォリオとプレゼンテーションは、生徒たちがいかにわが校で学んだかの主要な記録、つまり成績表に相当するもので、これをもとに卒業証書が授与されるのである。(略)生徒たちは七年生から作業を開始しているので、最終的に何をしなければならないのかよく心得ている。また、学期ごとに校内を移動して、六つ、あるいはそれ以上の卒業認定委員会に生徒メンバーとして出席しながら、この最終課程を見ておくこともできる。このようにすると、教師が委員会で発言できる時間はその分少なくなってしまうのだが、生徒たちにとっては、そのおかげで発表に必要なさまざまなスキルや作業ならびに思考の習慣を身につける経験を積むことができる。たとえば、単純に、委員会に見てもらう資料をまとめられるようになることや、ミーティングの手配や日程を決めたりすること、口頭発表したり、予期せぬ質問に冷静に自信をもって答えることなどである。

p.91-92「
ケアリングと思いやりは、聞こえのいい感傷的な目標ではない。これは我々が教えるべき教科の中核をなすものである。状況を理解しうまくケアするという行為は、学ぶことで身につくものである。ケアリングとは、心を使うのと同じぐらい頭を使う行為なのだ。他者の視点から世界を見ることができるということは、感傷的にならない思いやりの気持ちをもつうえで重要であり、知的な懐疑主義や共感の根底をなすものである。「やる気にあふれている者は、別の文化を全面的に受け入れることができる。たとえそれがどんなに『異質』に見えようとも」と、著名なアフリカ系アメリカ人の作家であり文芸評論家でもあるヘンリー・ルイス・ゲイツが述べている。彼はこう続けている。「しかし、尊敬のないところに寛容はなく、知識のないところに尊敬はない」と。このような共感的な資質は、まさに入念に育まれた思考の習慣によるものである----そして、それを育む場こそが学校なのだ。もし、このような習慣が、民主主義的な生活の中心であるとしたら、学校はこのようなモラルや知性の基礎を、意識的に、また徹底的に養い育てていかなければならないのである。

p.145-146「
私が選択制を支持している一番の理由は、それが公立学校離れを防いでくれるからではない。(略)一番の理由は、近年教育者たちが推薦しているラディカルで新しい教育実践を、試してみることのできる学校を実現させる唯一の方法が、選択制かもしれないと考えるからである。選択制の学校でしか、十分な規模で、十分な時間をかけて、このような新しい実践のよさを示すことができない。このような新しい実践には、時間もかかるし、じっくりと専念できる環境も必要である。

p.277
佐藤学による解説より:
三度目の出会い(略)、アメリカ教育学会の年次大会における彼女(デボラ・マイヤー)の会長招待基調講演においてである。この名誉ある講演において彼女は満席の教育学者たちにセントラル・パーク・イーストの学校改革の報告を行った。講演が終わると、聴衆の全員が興奮して立ち上がり割れるような拍手を送った。その直後、熱気に包まれた会場は氷水を浴びたような静けさに変わった。司会者が彼女に「最後に教育学者に期待したいことを一言お願いします」という要請に応えて、彼女は一言「何もありません(Nothing.)」と言って壇上を降りたからである。すさまじい一言である。私は、この時、あのいつもの笑顔で物静かで穏やかな彼女の奥に潜むしたたかな意志と見識のすごさに驚嘆した。