清野博子『最新現場報告 子育ての発達心理学 ― 育つ育てられる親と子』


子どもはかわいいなあ、天使だなあ、とかは、自分の子どもも含めてたいして思わないのですが(笑)、「7つまでは神のうち」っていうのはそうだなあ、と思うよ。
子育ての中で、どんなふうに子どもの発達を見ていけばいいのか、というリサーチの中で、発達心理学に最近興味あり。
京都大学名誉教授 田中昌人さんによる、4つの発達の力が、とってもいいなあと思う。(p.53)

  • 生後第一の「新しい発達の力」(生後4ヶ月)=受け身で笑うのではなく、自分から相手を見て笑うようになる。:「人知りそめしほほえみ」
  • 次の新しい力(生後10ヶ月)=ちょうど自我の芽生える頃:「われ知りそめし力」
  • 生後第三の「新しい発達の力」(5歳半ば)=経験の中でものごとを学ぶ「ことわり(理)知りそめし力」
  • 生後第四の「新しい発達の力」(14歳ごろ)=抽象的な思考ができるようになり、おとなになっていく。

以下、メモ。

p.35
「7つまでは神のうち」

p.45
5ヶ月半
手の届かないものに手を伸ばす

「手を伸ばせば、大人がものを持ってきてくれるか、そこへ連れて行ってくれる。おとなの動きを予期しているのですね。他者との関係の中で、手の届かない対象にまで欲望の世界を広げることを、人間はわずか生後6ヶ月前後で知ってしまう。」

p.48
1984年
「年齢別の発達課題と保育課題の関連表」(大阪教育大 秋葉英則氏の助け)

大阪保育研究所『年齢別保育講座』

p.53
生後第一の「新しい発達の力」(生後4ヶ月)
受け身で笑うのではなく、自分から相手を見て笑うようになる。
「人知りそめしほほえみ」

次の新しい力(生後10ヶ月)
ちょうど自我の芽生える頃
「われ知りそめし力」

生後第三の「新しい発達の力」(5歳半ば)
経験の中でものごとを学ぶ「ことわり(理)知りそめし力」

生後第四の「新しい発達の力」(14歳ごろ)
抽象的な思考ができるようになり、おとなになっていく。

(以上、京都大学名誉教授 田中昌人さん)

p.62-63「
一歳くらいの子は、目の前にある四角形の穴に入れようと、
ガタガタとするが、入らない。それが一歳半ごろになると、反対側の位置にいった丸い穴を見つけて、正確にはめ込むことができる。
「丸や四角形のかたちがわかること以上に、こっちではなくて、あっちだと見比べて、決めることができるということです」
と服部さん。
この力が充実すると、昼寝のとき、これまでは、頭からふとんにもぐり込んでいたのが、足から入ることができる。段差のあるところでは、くるりと後ろを向いて、足から下りることができる。「頭から」を「足から」に、「前向きき」を「後ろ向き」へと二重に方向転換ができるようになる。
「直線的にしかぶつかれなかった世界から解放され、方向転換を随所に使って、発達的自由を発揮するようになったのです」
と、これは田中さんから聞いた。」

p.63-64「
「靴下をはきなさい」といわれて、「いや!」と首を振る子に、模様の違う二種類の靴下を見せて、「どっちをはく?」と自分で選択させると、さっさと自分で決めて、はく。(略)
「いや!」と主張する一歳半の自我に対して、「だめでしょ」「いけません」と追い込み、パキッと折らせる対応をしていると、「我慢することしか覚えない」と服部さんも忠告する。人に指示されると動くが、自分で考えて、決めていける子には育たない。」

p.76
ボキャブラリー・スパート:
一歳後半になり、急激に語彙が増加する現象

p.94
バージニア・リー・バートン『せいめいのれきし』

p.97-98 「
それから約20年後の1982年、国立国語研究所が同じ調査(4歳から9歳の子どもの概念化の発達過程)を追試したところ、子どもの概念化は清水さんの調査時より1年以上早くなっていた。幼児番組、絵本の増加、幼児教育くの普及などによる発達の加速化現象かもしれないと分析された。
(略)たしかに外から強い刺激を与えれば、子どもは知識を覚える。何かができるようになる。しかし、そんなに急いで幼児期を駆け抜けるのは危ない。
発達は、二つの側面を統合して達成される。一つは、外の世界の秩序、行動する型を学び、適応していく過程。もう一つは、経験をいったん自分の中に取り入れて発酵させ、自分だけの内なる世界を形成していく過程。
過剰な刺激をさらされ、せかされて、見せかけの適応をしても、内なる世界がしっかり育っていないと、自我を確立すべき思春期に、自分が何者かわからなくて、破綻してしまう。幼いときの時間をゆっくり使って、自分の内なる世界をしっかり築いておく必要があるのだ。」

p.112 「
「うちの子は、自分のものと他の人のものとの区別がつかなくて、だれのものでも使ってしまう」と嘆く親がいる。こういう場合い、「これはお父さんのでしょ」「これはお兄ちゃんの」と教えようとしがちだが、それは反対だと服部さんはいう。
ほかの人のことを先にわからせるのではなくて、○○ちゃんのイス、○○ちゃんのお茶わんと、その子の大事なものをまず確保し、尊重する。自分が選び、つくり上げたものをきちんと受け止めてもらう結果として、あれはぼくのとは違う、私のではないと、相手のものがわかる。
「自我が落ち着く場所、その子なりの選択を、どれだけ大事にしてもらっているかが、ほかの人のものを尊重できるかどうかにかかわってくるのです」
そこを先急ぎして、ほかの人のものを教えようとしても、子どもは区別ができない。」

p.177
泥だんごづくりの魅力
京都教育大学教授 加用文男さん