ノーム・チョムスキー『チョムスキーの「教育論」』

チョムスキーの「教育論」

チョムスキーの「教育論」


学校や教育が、いろいろな考えを植えつける場所なのは、まあ当たり前*1
最後の方に、イスラエルの話がで出てきて、いかにパレスチナ人にひどいことをしちえるか、というのがまあ生々しい記述で書かれているわけです。これはなかなか凹みます。僕が知っているイスラエル人とイメージが違いすぎて、ギャップに戸惑う。この違和感をキチンと持てる子を育てる、というのが、教育の仕事だと思ってます。それが、「平和教育」という、自分が目指すゴールの一つの形かな、と思ってます。
以下、メモ。

p.28「
エドワード・サイードは、真の知識人を次のように性格づけている。

真の知識人とは、しばしば他者の現実から我々を保護してくれる出自・言語・国籍によって与えられる安易な確実性を捨て、危険をおかす人々である。このような危険をおかすことはまた、外交政策や社会政策のような事柄に対して人間的にふるまうための、ひとつの普遍的基準を求め、それを守るよう努力することを意味する。したがって、もし我々がいわれなき敵の侵略行為を非難するのであれば、弱小国を侵略する我々の政府に対して同じ非難をすることができなければならない。

真の知識人として教師は、偽善や社会的不正や人間の悲惨さを告発するために「批判の言語」を自分のものにする必要がある。教師がまた理解する必要があるのは、「学校が、『支配的イデオロギーおよび抵抗と闘いの可能性』の双方をもっている」ことであり、「民主主義と重要な市民権の地平を拡げる責任を引き受けることができるよう生徒に準備をさせる不可欠の存在として、学校が様々な集団によって守られるべきだ」ということである。

p.29「
世界を人間的なものにするというチョムスキー啓蒙思想は、もうひとりの偉大な教育者パウロ・フレイレの意見と大きく共鳴する。フレイレは、世界を人間的なものにしたいと熱望するすべての人々に、いつも次のことを思い出させてくれる。
「歴史を可能性と考えることは、教育を可能性と認識することである。教育はあらゆることができるわけではないにしてもいくつかのことは達成できるのだ、ということを認識することである。教育者としての我々の課題のひとつは、世界変革に貢献するという意味で歴史的に何が可能なのかを発見することである。そうすれば、もっと円みのある、もっと角のない、もっと人間的な世界をつくれる。」

パウロ・フレイレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AC

p.35
チョムスキー
ハーバードでは数学を学ぶだけではありません。学生はハーバード卒業生として要求される振る舞いやけっして尋ねてはならない質問の類も学ぶことになるのです。

p.35
チョムスキー
ハーバードは世界を支配するひとを訓練し、MITは世界を動かすひとを訓練する

p.99「
シカゴ大学の社会学者であり、教育と子供たちの生活への経験による影響に関する優れた研究者であるジェームズ・コールマンは、多くの研究から「生徒の達成度を決定する要因として、各学校の全体的影響よりも家庭環境の全体的影響の方が驚くほど大きい」と結論づけています。もっと正確に言えば、彼は膨大な研究を踏まえて、家庭環境の影響力は教育環境の約二倍であるという結論を出しています。それゆえ、社会政策と支配的文化がどのように家庭環境の影響力などを形成しているのかを注視することは、極めて重要です。

*1:むしろ、それを文科省が具体的にあまり出さないから、公立校はちょっと厳しいんじゃないか、と思っている