小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム 草の根保守運動の実証研究』

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究

“癒し”のナショナリズム―草の根保守運動の実証研究


小熊英二先生によるナショナリズムのケーススタディとしての「新しい歴史教科書をつくる会」研究。おもしろかった。あんなに若者を巻き込んだ運動だったけど、しぼんじゃった過程とかも分析されてます。つくる会が「右」よりも「左」を忌み嫌う理由として、「左」の言葉がずっと実感できない言葉だったからじゃないか、ということが挙げられてます。ナショナリズムとか保守とか、昔は大嫌いだった思想だけど、仕事をするようになってから、「それはあまりに純粋で真っ直ぐすぎたな」と思ってたりします。勉強したい思想だ。
以下、メモ。

p.35「
なぜ、彼ら(「つくる会」)は「右」よりも「左」を忌み嫌うのか。それは、冷戦後における「左」の失墜だけが原因ではない。おそらく最大の理由は、彼らが漠然と「戦後民主主義」や「リベラル」といった形容で総括する「左」の言葉こそが、現在の日本の「体制側」の言葉、もっと俗な表現をすれば「大人のきれいごと」とみなされているからだと思われる。マスメディア上や公式発言のレベルでは「左」の言葉があるていどの勢力を得てはいても、日本社会の実態が「戦後民主主義」の理想とはほど遠いことは誰でも知っている。そのなかで空洞化していかざるをえなかった「左」の言葉は、もはや若年層の大部分にとっては、社会において実感できない言葉、学校や本でのみ教えられる言葉、いいかえれば「教師の建て前」としか感じ取れなくなっているのではないか。

p.141
興味深いのは「戦中派」でない人たち(20代の若年層〜50代の「団塊の世代」まで)も「戦中派」の人たちとそれほど関わり合おうとしない、ということにある。(略)その価値観の違い、ズレはいったい何が原因だろうか。簡潔にまとめれば原因は二つ考えられる。
一つは「戦争体験の有無」である。「史の会」で戦争について議論するときに、同じ視点で議論できるはずがない。20代の参加者は、「保守」的な思想に傾倒してきてはいるものの、その年数やリアリティは「戦中派」にはとうていかなわない部分がある。(略)
そしてもう一つ挙げるならば、「皇室」の問題がある。

p.144「
インタビューのときのM氏(20歳)のコメントの言葉を借りる。
「結局は政治の問題です、結果取れなかったら意味ないんですよね。なんか中途半端なことをやってる気がしてならない。教科書の内容が『正しい』から採択すべきだ、っていう自分たちの善人の理論だけをもとにして動かそうなんて甘いと思う。」
すなわち、「つくる会」の一般会員は「教科書の採択」という利権の絡んだ特殊な世界をよく知らなかった、単純に「この教科書は良いものだから、正しいものだから」という基準と勢いだけで採択戦をすすめようとした、だから惨敗した、ということをM氏はいいたいのである。

p.210「
つくる会」の公民教科書の執筆者であり、会の理事でもあった西部邁は、1995年の『ポップコン宣言』という著作で、こう述べている。

小生が保守「主義」者を名乗ったことに対し、真性の保守派は主義者であってはいけないのだと遅ればせながらに指摘してくれる者がいる。…「コン[サーバティヴ、保守派の意]」は、主義者よろしくぜったいにこうであると断定したり、必ずこうせよと提案したりするのはできるかぎり避けようとする。そういう謙虚を持すことができるのは、自分が伝統によって守られている、あるいは伝統に尋ねておけばそう大きく間違うことはない、という自信に支えられているからである。
しかし、伝統があるかなきかになってしまったらどうするのか。伝統という観念があっても、その内容を具体的に示すことなど叶わぬ話だとなると、是非もなく主義者の口振りで伝統の発掘が大事なのだと断言し提案しなければならなくなる。戦後に育った人間が「コン」になろうとすると、やむをえず、コンサヴァティストの構えに立たなければならない。

このように、もはや依拠するべき「伝統」を失い、「主義」として「保守」を構築しなければならなくなった立場のことを、西部は「真性の保守」である「コン」と区別して、「ポップコン」とよぶ。

p.220「
そうした「普通の市民」たちが、石原慎太郎などの右派ポピュリストを当選させる基盤となり、結果としてマイノリティへの抑圧や国際関係の悪化を招いていること。一人ひとりは「普通の市民」である彼らが、自分の不安を持ち寄って集まることで、排除の暴力を内包した右派集団が形成されるということ。そして、こうした不安を抱えた「普通の市民」が、今後も増加してゆくであろうことである。もし彼らが異常な少数派であるのなら、問題はむしろ少ない。問題は、彼らがあまりに「普通」であり、現代日本社会に広範にみられる特徴の一部を、極大化しただけの存在であることなのだ。
(略)
筆者は、「『左』を忌避するポピュリズム」で書いた結論を、あえてもう一度くりかえしたい。短期的には、「つくる会」や「史の会」が、さほど持続的な運動になりえるかどうかわからない。しかし、たとえ数年後に「つくる会」が消滅したとしても、彼らを生んだ土壌そのものは生き残る。そのとき、第二第三の、あるいはより怖るべきナショナリズム運動が出現する可能性は決してゼロではないだろう。そして将来において、この本を読んでいるあなたが、<普通でないもの>として発見されてゆくことがありえないとは、誰にも保証できないのである。