井沢元彦『逆説の日本史(16) 水戸黄門と朱子学の謎』
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/10/14
- メディア: 単行本
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テーマとしては水戸黄門と朱子学だったのだけど、それ以外のところで、「太平記」がいかに武士階級の教育に意味があったか、とか、そういうことが興味持てたり。
p.409-410「
戦いを本分とする武士階級は「武士に怨霊なし」という言葉が示すように、怨霊信仰の信者ではないということだ。
それゆえに彼等は、慈円や世阿弥のように、怨霊に対する恐れはない。だからもっと「気楽に」歴史がつづれるし、琵琶法師でなくても「後醍醐天皇の無念の最期」も語れるのである。
こうして「太平記読み」という職業が武士階級の中に生まれる。
鎌倉時代の人々にとって、『平家物語』が歴史、宗教、地理、古典といった、あらゆる分野の教科書であったのと同様に、室町時代以降、特に武士階級の間で『太平記』はまさに、あらゆるジャンルを網羅した初等教科書であり、高等教育の教科書でもあった。『太平記』を音読し、解釈を加え、それを講義する人々、それが「太平記読み」と呼ばれる人々なのである。
重要なのは、武士階級の教育は、初等教育から高等教育まで、この「太平記読み」によってなされたということだ。」
p.413「
まず「歴史」や「哲学」を「面白い物語」にして、子供の頃から耳で覚えさせる。世の中には、不幸にもそれだけで教育が終わってしまうような人々もいただろうが、それでも最低限必要なことは身につけられる。
そして、次の段階に行ける者は、次にそれを「読む」つまり「音読」できるように努力する。
その努力は、少なくともヨーロッパや中国に比べれば、はるかに少なくて済む。
「平家物語世代」が先に「ギオンショージャ」という「読み」を覚えていて、次に「祇園精舎」がすぐに読めるようになり、見様見真似で書けるようになったように、「太平記世代」は、「コンパクワツネニホッケツノテンヲノゾマン(後醍醐天皇最期の言葉)」を暗唱出来、それが「魂魄は常に北闕の天を望まん」であり、すぐに読めるばかりか書けるようにもなる、という経緯をたどるわけである。
この伝統は、もう一つの素晴らしい伝統ともつながっている。
それは、先に述べた文化の「共有」の伝統である。」