井沢元彦『逆説の日本史(4) 中世鳴動編 ケガレ思想と差別の謎』
逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎 (小学館文庫)
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1998/12
- メディア: 文庫
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オフィスで借りてきた、逆説の日本史。こないだまで鎌倉時代周辺の小説を読んでいたせいもあり、中世を希望して持ってきてもらった。非常におもしろい。「はっ!」と思うことが多いですよ。そして、その「はっ!」と思うことの裏側には、僕等があまり気づいていないけど縛られている旧習とかが潜んでいる、というのを暴いていく内容。「ほんまかいや!?」と思うところもあるけど、妙に納得できるところもある。以下、興味をもったところをメモ。
p.72
「
日本人は一般的に平安時代史(それも政治史)にあまり興味がないこと、そして、それゆえに平安時代史というものが日本人の常識に組み込まれていないこと、を示している
」
p.97
「
ここでドナルド・キーン氏が述べていることはキーン氏個人の「意見」ではない。事実である。欧米(西洋)では、詩(歌)は人間が作るものというよりは、超自然的存在(=神)によって「作らされる」ものであって、日本のように、人間が独自に作り、それによって神を動かす、などという考え方はない、と言っているのである。
問題は2つある。一つはこれが西洋にはなく、中国(東洋)でもこれほど詩の力を認めてはいない、という事実。もう一つは、それにもかかわらず日本人はこれを「月並みなこと」だと思って意識していない、という事実である。
これは、明らかに一つの宗教である。
それも人間が作った和歌が超自然的存在(=神)を動かす、という極めてユニークな宗教である。当然、歌に熟達するということは、神を動かす力を磨く、ということになる。歌人とは一種の呪術師であるということにもなる。言葉に、あるいは言葉を部品として組み立てられた和歌に、そうした霊力を認めること、これこそコトダマ信仰に他ならない。
」
p.270
崇徳天皇:
髪をおろしても反乱(保元の乱)の罪を許してもらえず、讃岐に流罪となった。
五部大乗教を社教師、京へ送ったが、後白河天皇に送り返された。
崇徳は激怒し、舌の先を噛み切って血を出し、その地で経文のすべての巻に呪いの言葉を書き付けた。「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」「この経をま堂に廻向す」
↓
p.274
崇徳天皇の「崇」という文字はタタリ神の文字?
崇徳天皇、唯一人臣により暗殺された崇峻天皇、そして崇道天皇(早良皇太子)の持つ字。これは草書で書けば「祟」という文字とほぼ変わらない。3人の憤死した天皇にささげられた諡号にいずれもこの字が入っているのは、偶然ではない。
p.320
ケガレの差別
・死を扱う職業は差別される。
・米を食べるときに「ここに米があるのは、農民のおかげである。感謝していただきなさい」というのは言われる。
・ステーキを食べるときに、「自分に代わって牛を殺し皮を剥いで血を抜いて細かくカットしてくれた人々に感謝していただきなさい」とは言われない。
「
大多数の日本人にとって、そんなことは思ってもみなかったというのが正直な感想ではあるまいか。
」
p.326
司馬遼太郎『風塵抄』
平和とは、まことにはかない概念である。
単に戦争の対語にすぎず、“戦争のない状態”をさすだけのことで、天国や浄土のように高度な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂のべとつくような手練手管が要る。
平和維持にはしばしば犯罪まがいのおどしや、承認が利をおうような懸命の奔走も要る。
さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分をおもえばいい。家康は三百年の太平をひらいた。が、家康は信長や秀吉にくらべて人気が薄い。平和とは、そういうものである。
p.342
「
しかし、ここでちょっと胸に手を当てて考えて頂きたい。一般的に足利義満や徳川家康が「平和の創造者」である、という認識が果たして日本人の常識の中にあるだろうか?
答えは言うまでもないだろう。
だが、彼等が実際に平和をもたらしたことは、議論の余地のない歴史上の事実なのである。
その事実をなぜ認識していないのか?
それは日本人の歴史教育がおかしからであり、その根本には平和に対する視点が歪んでいるという「事実」がある。
「平和」に対する見方が歪んでいるのだから、当然その「対語」である「戦争」に対しても見方が歪むはずだ。平たく言えば、世界の常識では有り得ないヘンな考え方をする、ということである。
」