早乙女勝元・編『平和のための名言集』
- 作者: 早乙女勝元
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2012/08/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
早乙女勝元さんが編集した、毎日1つずつ、平和のための名言が載っている本。日めくりカレンダー的な。いやー、まったく知らなかった言葉のなんと多かったことか。自分のコアの部分というか、仕事のモチベーションは、この「平和」についてのことにあり。正月に読むにはピッタリの読書だったな、と。以下、いろいろとメモ。
p.2-3「
とりわけ十代の多感な思春期には、一冊の本、一本の映画でも、心の震える瞬間がある。それが、その人の「初心」を形成するにちがいない。
私の場合はどうか。大学はおろか高校も出られず、戦後すぐに町工場の少年工からのスタートで、自分で自分を哀れに思えた青春だった。それでも、十万人もが死んだ「炎の夜」の生き残りとして、戦争の起きた原因と、大人たちがなぜ戦争を阻止できなかったかを知りたいと、読書に励んだ。それが少しも中断することなしに続いているのは、感動が私を豊かにしてくれたからだと思う。
日記帳と感想帳の二冊のノートを手離すことなく、読みながら書き、書きながら考えたが、読んだ本のうち、深く心をゆさぶられる文章を、ノートに書きとめた。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
とは、宮沢賢治の言葉だったが、感想帳の一ページめの白い余白に書きこんだ。自分もこんなふうな気持ちの人間になりたいなあ、と思ったからである。
」
p.21「
戦争中われわれが最も失っていたものは良識である、と私は考えておるが、それをわれわれは、ほかならぬ大和魂の名によって失っていったのである。
谷川徹三『文化論』
※詩人谷川俊太郎は徹三の長男。
」
p.23「
そもそも戦前と戦後の歴史がだらだらと繋がって切れ目のない日本と、敗戦を総統国家の終焉とナチズムからの解放とみなしているドイツとでは、戦後の原点からして決定的にすれ違っているのである。
姜尚中「戦後50年と近代化100年」(『戦後を語る』岩波新書)
」
p.24「
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし見捨つるほどの祖国はありや
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)
」
p.25「
たった一つのローソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のローソクに火を灯せば、真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです。
オグ・マンディーノ『この世で一番の奇跡』
」
p.26「
戦争は決して地震や津波のような天変地異ではない。
石川啄木(『いのちある言葉』)
」
p.28「
軍隊というところは、人間をダメにしますね。自由とか、創造というものを認めない。命令、命令で、なにもかも一つの型にハメこもうとする。
一銭五厘の赤紙一枚で、各地からいろんな人が集められてくる。……そういう人たちの能力も個性もおかまいなく、ただ命令の一言で、いっしょくたにしばろうとする。人間の特性である「考える」という作業を、軍隊生活では必要としない。
升田幸三『升田幸三自伝 名人に香車を引いた男』
」
p.29「
いまの戦争が、単に少数階級を利するだけで、一般国民の平和をかきみだし、幸福を損傷し、進歩を阻害する。きわめて悲惨な事実である……。しかも事がここにいたったのは、野心ある政治家がこれを唱え、功を急ぐ軍人がこれを喜び、ずるがしこい投機師がこれに賛成し、そのうえ多くの新聞記者がこれに付和雷同し、競争で無邪気な一般国民を扇動教唆したためではないのか。
幸徳秋水「平民新聞」明治37年3月27日
」
p.38「
一度戦争が起これば問題はもはや正邪曲直善悪の争いではなく、徹頭徹尾、力の争い、強弱の争いであって、八紘一宇とか東洋永遠の平和とか、聖戦だとかいってみても、それはことごとく空虚な偽善である。
斎藤隆夫「反軍演説」 帝国議会衆議院本会議
」
p.46「
「人道問題に人道的解決なし」という私の発言がよく引用されるが、私が言わんとしたのは、難民問題は本質的には政治問題であり、したがって政治によって対処されなければならないということである。人道行動は政治行動をとるための余地をつくり出すことはできるかもしれないが、政治行動にとって代わることは決してできない。
緒方貞子『紛争と難民 緒方貞子の回想』
」
p.79「
共産党員が迫害された。私は党員でないからじっとしていた。社会党員が弾圧された。私は党員でないから、やはりじっとしていた。学校が、図書館が、組合が弾圧された。やはり私はじっとしていた。教会が迫害された。私は牧師だから行動に立ち上がった。しかし、そのときはもう遅すぎた。
マルチン・ニーメラー(早乙女勝元『アウシュヴィッツと私』)
」
マルチン・ニーメラー(1892年~1984年)。ドイツの神学者。第一次世界大戦に軍人として参加、戦禍をきっかけに神学に転じ、第二次世界大戦中には反ヒトラー・反ナチスのドイツ教会闘争の中心人物となる。そのためにダッハウ強制収容所に投獄されるも告発を続け、戦後も反戦運動、ドイツ統一運動などで活動、66年に来日した。
p.95「
人を殺して実現する正義はない。「平和のための戦争」とは自己矛盾である。単純な論理です。
竹中千春「ガンジーを探す旅」(「東京新聞」放射線・2007年12月3日)
」
p.109「
抗議して生き残れ
エドワード・P・トンプソン『核攻撃に生き残れるか』
」
p.120「
「大きな人間」が戦争を起こそうとしても、「小さな人間」がいないと戦争はできない。これはもう古今東西の歴史に残っている事実です。いくら「大きな人間」がやっきになって戦争をしろと叫んでも、「小さな人間」が動かないと結局戦争はできない。……つまり「小さな人間」が自分たちの力を信じて戦争に反対する限り、戦争はできない。あるいは戦争をやめさせることができる。
小田実「世直し大観」(「世界」2007年12月号)
」
p.121「
そこに居合わせた両国の兵士たちが、皆おごそかに誓ったのだ。このようなことが二度と地上に起こらぬよう、各自が力をつくし、できるかぎりのことをしようと。地上におけるすべての国の人たちが、平和に生きていくべきであり、それを単なる理想に終わらせることなく実現しようではないか、と。これが、われわれの「エルベの誓い」である。
ジョセフ・ポロウスキー(早乙女勝元『エルベの誓い』)
」
p.185「
理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる
ルソー『エミール』
」
p.194
花森安治(1911年~1978年)。ジャーナリスト。戦時中の1941~45年まで大政翼賛会宣伝部に所属、「欲しがりません勝つまでは」などの戦時標語の採用に関わり、政府の戦意高揚政策に協力。戦後はその経験をもとに反戦思想を持ち続ける。48年雑誌『暮らしの手帖』を創刊。企業広告を掲載せず、自由な立場から大企業製品の“商品テスト”を行い、その結果を誌面に掲載。その後消費者運動に大きく貢献する。
p.219「
第三番目にきたのは世界戦争ではなく、まさしく人類史上はじめての世界反戦えある。
古在由重「人類の大義のために」(『いのちある言葉』)
」
p.242「
僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。
井筒和幸「井筒監督の教えたるわ!歴史と憲法」(『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』)
」
p.244
岸恵子『30年の物語』
p.259「
賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなどはくそにもなりません!世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。
エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』
」
p.275「
私はあなたのいうことに賛成はしないが、あなたがそれをいう権利は死んでも擁護しよう。
ヴォルテール(丸山眞男『現代政治の思想と行動』)
」
p.297「
学校のためでなく人生のために
ヘイノネン(天野一哉「押し黙る子ども」をつくらないために「週刊金曜日」No.692)
」※ヘイノネンは、フィンランドの元教育大臣。
p.322「
みなさんは、つぎの事実を隠すことはできない。それはかつてみなさんが、戦争という手段を取ったという事実である。……この事実をしっかりと踏まえた上で、日本人は着実に平和の道を進まなければならない。しかし日本はあろうことか再軍備の道に突き進もうとしている。これは由々しき事態である。「私は日本の再軍備に反対する」。
パール判事(中島岳志『パール判事』)
」
p.331「
核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺されるほうを、わたしは選ぶ。
宇都宮徳馬(「軍縮問題資料」No.292)
※宇都宮徳馬(1906年~2000年)。政治家・実業家。京都大学在学中、論文が不敬罪に問われて検挙・退学。1929年、治安維持法違反で投獄、獄中で転向を表明、ミノファーゲン製薬本舗を設立。戦後、自由党衆議院議員、石橋湛山、三木武夫系の政治家として平和共存外交、日ソ国交回復、日中・日朝国交回復を主張。1976年、三木おろしに反発して離党・議員辞職、「宇都宮軍縮研究室」を創設し平和問題にかかわる。
」
#『橋のない川』は、読んでおきたいな。