養老孟司・古舘伊知郎『記憶がウソをつく!』

記憶がウソをつく!

記憶がウソをつく!


最近、教育と認知心理学の関係をもっとしっかり勉強したいと思っていてそのために脳関係の本をよく漁る。そのうちの1冊で、脳みそといえばこの人!みたいな養老先生と、賢いなあ、この人!といつも感心してテレビを見ている古舘さんの対談本を買ってみました。

まずまず、というところでしょうか。あまり認知的なところはなかったですけどね。五感が実は全部等質ではないという部分とか、おもしろかったです。雨の匂いで記憶がぶわっと戻ってきたり、そういうのって誰でも経験していることだと思うのですが、そういうことと脳の機能の関係を説明してくれている部分とかはおもしろかったです。

以下、メモ。

p.79
右利きと左利きがいる理由(養老先生):

価値判断の問題でよく言われることの一つに、右にするか左にするかっていうことを決めておかないと、対称形は迷ってロックされちゃうってことがあるんですよ。それで、どっちがいいかっていう計算、つまり理屈でやっていると、答えが出ないことがある。急場に間に合わないんですね、生き物は生きていますから。進行形でやっていますから。だからら計算装置は、必ずどっちかにバランスをかけておかないと、いつまでたっても計算していて、答えが出ないってこと


p.80

感情っていうのも、そういう役目をもって機能しているんですよ。まあ、本当なら蓼食う虫も好き好きでどれでもいいんだけど、決まってなきゃ困るんですよ。どうでもいいから、まず決めとけっていうのが感情なんですよ。だから勘定が理屈じゃないのは当たり前で、僕はね、Y=AXのときのAだって説明してるんですよ。Xが入力でYが出力だから、Aを大きく掛けておけば、入力が小さくても出力が大きく出る。それが一目惚れの場合です。A=一億とかにしておけば、Xに1入れても、Y=一億になっちゃう。
(略)
言い換えればバイアスをかけてるっていうこと。バイアスがかかってない計算装置は、完全にニュートラルな計算をするわけで。ニュートラルな計算は、いま言ったように対称形の問題を出すと止まっちゃうんですよ。ひたすら動いてるんだけど、答えが出てこないという。それを哲学では、腹の減ったロバにたとえてるんです。

p.84

(人は)結局、語るためには物語にしなきゃいけない。物語にするということは、あとから時間的順序をちゃんとつけているということです。だkら、もともと頭の中で物事が時間的順序に従って動いているという証拠はないという、むしろ逆のことを示していますね。
たとえばそれは数学の問題を解いてみるとわかります。一生懸命考えていると、あるとき解けるんですよ、あっ、解けたと。それから証明を書くんですね。(略)実際にはそんなことをやる前に解けている。「あ、わかった」っていうのは、先に来るんですよ。これはやった人はよく知っているはずです

=後追いで理屈と論証が進んでいく


p.86
イディオ・サバン症候群=
何千年分のカレンダーが頭の中に入っていたり、初めて聴く音楽でも一度聴いただけでたちまちピアノで弾いてしまったりする。
先天的に脳に欠損があると、周辺部分がバックアップしてがんばってしまい、突出した能力を発揮する。

p.195
嗅覚と味覚(匂いと味)は言語を構成できない
※触覚は点字が作れる、聴覚は音声言語を構成する、視覚は文字言語を構成する

p.200
ヒトラーは午後8時以降しか演説をしなかった?
→人を思うようにさせるには、明るい昼間より夜
→脳の動きが昼と夜では異なっている
→情に訴える話は、たぶん夜の方がいい

p.226
右脳=
 言語を使わずに、音は音、視覚は視覚で処理

左脳=
 視聴覚を共通に処理する。そのために目や耳弟子か分からない作業を落としていく

右脳を活用する人は芸術に関係が深い。右脳で活動する人は言葉の能力が低くなる=目と耳の共通処理部分が小さくなるから。


p.246

(養老)「過去の自分はもうすでに死んでいるわけです。生まれ変わって新しい自分になってしまうというかね。学問をするということは、それを絶えず繰り返していくことなんです。本当にものを学ぶということはそういうことなんだから、論語の言葉の意味は、朝、ものを学んで、夜になって死んでしまってもいまさら驚くことはないだろう、ということなんですね。」
(古舘)「仏教でいう、刹那消滅ですね。死んで生きて、を瞬時瞬時繰り返していく。」
(養老)「ところがね、今の人は知るとか学ぶということを、自分が代わることだと夢にも思っていないんですよ。情報を処理することだと考えるわけです。何かを集めてきて上手に使うことだと思っている。自分の外側で処理することで、自分自身の内面には関係ないことだと。そのあたりに、いろいろな問題があるんだと思います。」
(古舘)「なるほど!先生、いま僕は学びました。情報って、処理するものじゃなく、自分を変える道具になり得るんだ。(略)だから、記憶に関しても外側につくるというか、記憶を外部に委託する時代っていうのはそういうことですね。」
(養老)「そうそう。自分が変わるということではなくて、「自分」をちょっとよそにおいているんですよ。」