羽生善治『大局観 自分と闘って負けない心』
- 作者: 羽生善治
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/02/10
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 324回
- この商品を含むブログ (73件) を見る
ボードゲームで教えていると、勝ち負けで子どもたちが一喜一憂するシーンをよく見る。特に負けた時の打たれ弱さを見ることも多くあって、「たかだかゲームじゃないか、人生で大負けするより全然いい。負けなきゃわかんないこともあるよ」ということをいつも何とか伝えようとしているのだけど、どうにもそれを受け入れる、というのは難しくて、うっかり軽く受け流そうとしたり、笑ってごまかしたり、という子が多い。羽生さんは、常にずっと強かったイメージがあるけど、一度次々とタイトルを失った時期があって、実は負けからものすごく学ぶのが上手なんだなあ、と思う。
それともうひとつ、「直感でやるから!」という子も多いのだけど、実は直感は天賦の才とは違って、研鑽に裏打ちされているものなのだ、というのが語られている。うーん、わかるわあ。こういうのをきちんと伝えていきたいなあ。
直感とは、数多くの選択肢から適当に選んでいるのではなく、自分自身が今までに積み上げてきた蓄積の中から経験則によって選択しているのではないかと、私は考えている。
だから、研鑽を積んだ者でなければ直感は働かないはずだ。
(略)
では、経験を積む以外に直感を磨く方法はあるだろうか?
それは、自分のとった行動、行った選択を、きちんと冷静に検証することだと思う。
将棋界には、感想戦という習慣がある。反省会や検討会と似たようなもので、対局が終わったあと、その一局を最初から並べ返して、どこが良かったか悪かったか、どこが問題であったかなどを振り返るのだ。(p.130-131)
そうそう。ボードゲームで学んでいても、将棋を習ったことのある子は負けたらすぐに感想戦みたいなのを対戦相手と始めます。で、2回目にはきちんとそれを修正できていることが多い。感想戦の大事さとか、きちんと伝えていきたいなあ*1。
以下、メモ。
p.106「
スポーツの試合などでもよく使われる「次につなげる敗北」という言葉には、敗北によって受けたダメージを次に残さないという意味合いもある。ずるずると引きずってしまっては、次の機会を活かすことは難しい。
また、負けた原因を探ることによって、問題点や弱点、修正点などが鮮明になるということもある。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」の言葉どおり、負けには必然性があるのだから、何かを改善しなければならないはずだ。」
p.107「
2003年から2004年にかけて、私は次々とタイトルを奪われて、一冠になってしまったことがあった。
分析してみると、自分の感覚や将棋観と相容れない戦法が流行し、それに自分が対応できなかったことが敗因だった。つまり、それまでの自分のやり方ではダメだということだ。
新しい戦法にどう合わせていくか、どんな対策を立てていくかを考えなければならない。現代の将棋は、刻々と変化している。そのなかで自分なりのスタイルをどう貫き、新たにどんなスタイルをつくり上げていくかが大事なのだ。
こうした反省をしないと、同じ間違いを何度も繰り返してしまう。負けも進歩の一プロセスと考えてプラスの材料とし、成長していこうとする姿勢が大切だと思う。
棋士にとって大切な資質の一つに、こうした「打たれ強さ」がある。
負けたとしても、また立ち上がって前進していかなければならない。」
p.130「
直感とは、数多くの選択肢から適当に選んでいるのではなく、自分自身が今までに積み上げてきた蓄積の中から経験則によって選択しているのではないかと、私は考えている。
だから、研鑽を積んだ者でなければ直感は働かないはずだ。」
↓
p.131「
では、経験を積む以外に直感を磨く方法はあるだろうか?
それは、自分のとった行動、行った選択を、きちんと冷静に検証することだと思う。
将棋界には、感想戦という習慣がある。反省会や検討会と似たようなもので、対局が終わったあと、その一局を最初から並べ返して、どこが良かったか悪かったか、どこが問題であったかなどを振り返るのだ。」
p.222「
子供の頃からたいへんお世話になった原田泰夫九段は、よく色紙に、
「三手の読み」
と揮毫されていた。ただ単に三手先を読めば良いだけと思う人もいるかもしれないが、実は、この言葉の意味はそうではない。
一手目は、たくさんある自分の選択肢のなかからベストの手を選ぶ。
二手目は、たくさんある相手の選択肢のなかから、さされたら自分がいちばん困る手を選ぶ。
そして三手目で自分にとってベストの手を選ぶ、ということなのだ。
自分にとって都合良く考えるのは“勝手読み”になってしまうので、立場を変えて客観的に交互の選択を考えるのが、原田先生の「三手の読み」ではないかと思っている。」