ジェイムズ・S・フィシュキン『人びとの声が響き合うとき 熟議空間と民主主義』

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義


「熟議」という言葉は政権交代後、急に聞くようになったなというイメージだったのですが、教育熟議とかのイベントに顔を出させてもらったりもしたので、ちょっと興味ある感じではあります。普通の議論と何が違うの、っていうのは残るのですけどね。一般市民の政治への関与と熟考を両立させられないのはなぜか、というところが本当におもしろかったな。学校の現代社会や政経の授業とかでのワークショップにも取り入れたら面白いんじゃないかと思った。
以下、メモ。

p.7
討論型世論調査=デリバラティブ・ポール

p.12-16
なぜ、一般市民の政治への関与と熟考、すなわち政治的平等と熟議をともに実現させるのは困難なのか?
(1)大衆社会においては、市民に情報を積極的に求める気にさせるのが困難だから。社会学的には「合理的無知」という用語で説明される。自分の意見が何百万人の意見のひとつにしかすぎないならば、政策や政治を真剣に学ぼうと時間や労力を費やす必要があるのか?
(2)世論調査がその名にふさわしいほど、世間は「意見」と言えるほどの意見を持っていない。「知らない」と回答したくないから、適当に答えを選んでいるだけではないのか?
(3)政策や政治問題について論じることがあっても、人はたいてい自分と似たような人びとと論じ合うにすぎない。
(4)大衆社会は操作されやすい。

p.53「
オーストラリアの国政選挙の投票率は世界でも最高の部類に入る。が、強制投票制度は、投票率はともかく、投票者の知識や政治的関与の改善にはほとんど効果がないということはすでに確証されている。」

p.60
熟議の質のために、以下の5つの項目がキーになる:
1.情報:争点に関係すると思われる十分に正確な情報がどれほど参加者に与えられているか
2.実質的バランス:ある側、またはある見地から出された意見を、反対側がどれほど考慮するか
3.多様性:世間の主要な立場が議論の中で参加者にどれほど表明されているか
4.誠実性:参加者がどれほど真摯に異なる意見を吟味するか
5.考慮の平等:参加者のすべての意見が、どの程度、誰が発言者かということではなく、その論点自体により検討されているか

p.207-208
デリバラティブ・ポール(DP)により得られる効果
1.政策に対する態度の変化
2.投票意志の変化
3.情報量の変化
4.「よりよい市民」の育成
5.集団の一貫性の変化
6.公の対話における変化
7.公共政策の変化

p.279-280「
国民国家を越えた領域での、特に欧州連合での民主的な意思形成が直面している課題をフレイザーがうまくまとめている。次にあげる従来の公共圏の前提は、明らかに崩れつつある。
1.国民国家の領域内では主権が行使されるという考え。欧州連合が条約や官僚によるさらなる権力掌握により、意思決定の現場は国民国家ではなくブリュッセルに移行していく。
2.経済は国民国家の領域内に存在するという考え。グローバル化が進む世界ではこの前提は一般的に希薄になっていくが、欧州連合でなされる主要な経済政策の決定の多くが、明らかに、国家の問題ではなく、欧州連合全体、または多段階統合の欧州の問題になっており、ユーロ圏を管轄する中央化した機関などによりおこなわれている。
3.民主的対話が国民国家の境界内に在住する国民全体によりおこなわれるものだという考え。確固とした欧州市民という形は生まれていない一方、欧州連合加盟国間では通行の自由が当然の権利となっており、従来の国民国家の境界線は明らかに過去のものとなっている。
4.国語というものが存在するという考え。23の公用語がある中で、ひとつの対話の中で相互理解の共通の基盤となるものはない。複数の言語を持つ社会はあり、スイスなどの国家は、民主主義が発展していく長い歴史の中で、言語上の多様性をアイデンティティの主要な側面としている。が、3つの言語と20以上の言語ではまったく別の話である。
5.統一された国民の文学、文化、共通のアイデンティティがあるという考え。国民の文学は明らかに複数存在するものであり、共有の文化やアイデンティティはほぼ認識されていないに等しい。
6.共通の対話を可能にする共通のコミュニケーションの基盤が存在するという考え。言語の違いや国家による放送規制がこの可能性を粉砕した。」