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鷲田清一・内田樹『大人のいない国』

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大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた (ピンポイント選書)

大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた (ピンポイント選書)


好きな書き手の2人が共著。楽しんで読みました。ぐぐっと来たのは以下の部分。

格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、もう立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。(p.12)

ああ、そうだなぁ、と思う。細かい部分はいろいろあるけど、基本的にこうして「自分が引き受ける」ということが足りないのかなぁ、と思う。ヒョーロンカじゃなくて、しっかり自分に引き受けて考える子どもを育てたいと思う。
以下、メモ。

p.3-4
鷲田先生「
働くこと、調理をすること、修繕をすること、そのための道具を磨いておくこと、育てること、教えること、話しあい取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆくうえで一つたりとも欠かせぬことの大半を、ひとびとはいま社会の公共的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受けるのである。これは福祉の充実と世間ではいわれるが、裏を返していえば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。人が幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。
(略)
サーヴィス社会はたしかに心地よい。けれども、先にあげた生きるうえで欠かせない能力の一つ一つをもういちど内に回復してゆかなければ、脆弱なシステムとともに自身が崩れてしまう。システム管理者の幼稚さはそのことを知らせたはずだ。「地域の力」といったこのところよく耳にする表現も、見えないシステムに生活を委託するのではなく、目に見える相互のサーヴィス(他者に心をくばる、世話をする、面倒をみる)をいつでも交換できるよう配備しておくのが、起こりうる危機を回避するためにはいちばん大事なことだと告げているのだろう。


p.12
内田先生「
格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、もう立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分達の社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」という犯人捜しの語法で社会問題を論じる人間はみんなそうですね。彼ら自身が久しくこの社会の振るメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。でも、自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私は子どもです」と宣言していることと同じでしょう。


p.17
鷲田先生「
一方でクレーマーがいれば、他方で自己責任で責める人がいるけれど、これも同じようなものでしょう。自己責任とか自立とかいう言葉が出てきてから、なんか居心地が悪いなあと感じています(笑)。そんなに自立できるひとなんているはずがないじゃないですか。集団生活ってインターディペンデント(相互依存的)にしかあり得ないんです。自立しているというのは決してインディペンデント(独立的)なのではない。インターディペンデントな仕組みをどう運用できるか、その作法を身につけることが本当の意味で自立なんじゃないかな。