保阪正康『そして官僚は生き残った 内務省、陸軍省、海軍省解体』
- 作者: 保阪正康
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2011/01/19
- メディア: 単行本
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第二次世界大戦後に解体された巨大官僚組織、内務省・陸軍省・海軍省の話。興味があったのは、内務省と海軍省。内務省は明治からの発展の基礎をグイグイと作っていった組織だし。海軍省はイメージ的にリベラルな感じがしていたから。そういった簡単な薄っぺらなイメージが、きちんと名前がある官僚たちのエピソードで分厚くなっていったのがよかったな、と。元海軍大将で横須賀で英語塾をしていた井上成美海軍大将とか、特攻作戦の生みの親とも言われる大西瀧治郎(海軍中将)とか、米内光政とか。伝記みたいなもので読んでみたい、もっと知りたい人もたくさん。
以下、メモ。
p.170「
なぜ女性に参政権を与えることにしたのかという点について、堀切(善次郎)はイギリスの例からいっても女性に参政権を与えると、「婦人の投票は多く穏健なところに集まる。決して極端なほうにはいかない」との特徴があり、とにかく戦争終結直後の日本は、穏健な方向でまとまらなければならない、そのためには女性に参政権をと考えたとその本音を明かしている。
」
p.192-194「
(米内光政は)この一方で、国民各層に対しての声明も発表している。こちらは海軍創設以来「七十余年」の歴史にもふれている。海軍大臣としての責任についても謝罪の意をあらわしている。海軍が消えるときの当事者の言としてあえてその全文を引用しておこう。
「三年有余の苦闘遂に空しく、征戦すでに往時と化し、ここに海軍解散の日を迎ふるに至れり。顧みれば明治初頭海軍省の創設以来七十余年、この間、邦家の進運と海軍の育成に尽瘁せる先輩諸士の業績を憶ふ時、帝国海軍を今日において保全すること能はざりしは吾人千載の恨事にして深く慙愧に堪へざる所なり。今次開戦以来海軍は全員特別攻撃隊の純忠に徹し、その全力を傾けて終始敢闘したりといえども、遂に叡慮を安んじ奉ること能はず国家今日の運命を招来したるは、上御一人に対し奉り、また国民各位に対し深くその罪責を痛感するものなり。(略)ここに永き歴史と伝統を有する海軍の解散に際し、今日まで国民各位より海軍に寄せられたる絶大なる御援助御厚情に対し無量の感慨を以て御礼申しあぐ」
」
p.222
井上英語塾:
・元海軍大将 井上成美
・宮野澄『最後の海軍大将 井上成美』
・ひとりひとりの生徒に大声で挨拶させ、そして自らもそれに英語で答えた。井上はそこに新しい人生の目標を見出したかのように子どもたちに接した。
p.232
小泉信三「三笠保存と自重の精神」:
「一国民が正しい自重の精神を堅持することは、ひとり自国のために他国の侮りを防ぐのみでなく、世界の国民と国民、国と国との関係を正常で健全なものにするうえにおいて、欠くべからざる要件であると思います。自尊自重の精神なき国民は、すべての高い精神活動の落伍者たらざるを得ないのであります」
p.240
海軍中将 大西瀧治郎
・1945年8月16日に、海軍省次長官舎で割腹自決。
・特攻作戦の生みの親とも言われる。
・遺書の初めに「特攻隊の英霊に申す 善く戦ひたり深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり 然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす(以下略)」と書いている。
p.259-260「
昭和四年に海軍を予備役になったあと、いちどは海軍を離れたが、昭和十六年から再び海軍に戻った有馬成甫は、予備役の折に自ら歴史を学んだりしたゆえか、「旧海軍に対する所感は」と問われて、「最大の欠陥は歴史(戦史は別)を教えなかったことである。軍事は政治の中心をなずものであるから、政治の根本を軍人に教えなくてはならない。これは歴史教育に依るべきものである」との自戒が必要だと洩らしている。
」