福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』
- 作者: 福井雄三
- 出版社/メーカー: 主婦の友インフォス情報社
- 発売日: 2004/10/01
- メディア: 単行本
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司馬遼太郎『坂の上の雲』は大好きです。それに対する批判となれば、読まないわけにはいきますまい。と思って読みましたが、やっぱり多角的に読むのは大事だなあ、と思いました。メモしましたが、福田恆存『言論の自由といふ事』から抜粋されているところがいちばん心に残った。
p.186
「
「日清・日露戦争まではよかったが、それ以降日本は駄目になった。日本は昭和に入ってまるで魔法にかかったようにおかしくなった。昭和以降は陸軍が悪玉であり海軍が善玉である」などというのは、あまりにも一方的な歴史観である。現実には、国家がある日突然おかしくなる、などということはあり得ない。
」
p.186
「
近代日本の経験した戦争を概観すると、太平洋戦争に限らず、どの戦争も負けるシナリオはあったのだ。日清・日露の両戦争も、相手が継戦意思を失わずにあのまま続いていれば、日本が負けていた可能性が濃厚である。ところが太平洋戦争だけを取り上げて、「どうして日本は負ける戦争に突入していったのか」という問題の立て方をすることが往々にしてある。
」
p.187
福田恆存『言論の自由といふ事』
「
近頃、小説の形を借りた歴史読物が流行し、それが俗受けしてゐる様だが、それらはすべて今日の目から見た結果論であるばかりでなく、善悪黒白を一方的に断定してゐるものが多い。が、これほど危険な事は無い。歴史家が最も自戒せねばならぬ事は過去に対する現在の優位である。…現在に集中する一本の道を現在から見透かし、ああすれば良かつた、かうすれば良かつたと論じる位、愚かな事は無い。殊に戦史ともなれば、人々はとかくさういふ誘惑に駆られる。…日本海大海戦におけるT字戦法も失敗すれば東郷元帥、秋山参謀愚将論になるであらう。が、当事者はすべて博打をうつてゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は闇であつた。それを現在の『見える目』で裁いてはならぬ。歴史家は当事者と同じ『見えぬ目』を先づ持たねばならない。
そればかりではない。なるほど歴史には因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を捉へる事は遂に出来ない。歴史に附合へば附合ふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして我々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける線を設定する事が不可能になる。しかも、点と点とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるであらう。が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。(略)勿論、読者がさういふものを一種の娯楽として読める程度にまで成熟してゐれば問題は無い。が、戦後の歴史軽視の結果、人々は『正史』を知らず、また歴史の読み方も知らない。その反動として歴史読物や歴史を扱つたテレビ映画に縋り附きその渇を癒さうとしてゐる。歴史家のみならず、歴史小説家もその点をよほど慎重に考へねばならぬであらう」
」