E.W.サイード『裏切られた民主主義』

裏切られた民主主義―戦争とプロパガンダ<4>

裏切られた民主主義―戦争とプロパガンダ<4>


平和学関連のカリキュラムの企画のために、本屋に足を運んでメディアと政治プロパガンダの関係を論じている本などをまとめ買い。そのうちの一冊。サイードの仕事は、ずいぶんこれまでにも目にすることが多かったのですが、きちんと著作を読んだのは初めて。ちょっとイメージとは違ったところもありましたが、とても勉強になりました。バランスをとるために読んでおいてよかったと思います。
本題とはちょっと違うところだけど、スウィフト『ガリヴァー旅行記』の中で描かれているラピュタ国の話が出てくる「ラガドのアカデミー」が相当におもしろかった。この辺りを参照するといいかもです。

以下、メモ。

p.2

なにしろアメリカでは、アラブ系はすでに「あちら側」(何を指すのかは不明だが)についているとみなされており、「あちら側」についているということは、サダム・フセインを支持するも同然であり、「アメリカ人らしくない」un-Americanということに等しいと考えられているのだから。
(略)
(ちなみに、公敵を表す方法として国民性をしめす後に"un-"[形容詞につけて否定を表す接頭語]をつけるような表現を用いる国は、アメリカ以外には聞いたことがない。un-Spanishとかun-Chineseなどとは誰も言わない。これはあめりか特有のしかけで、自分たちがみな自国を「愛する」のは自明のことだと言っているのだ。いずれにせよ、ひとつの国家というような抽象的で内容の測りがたいものを「愛する」などということは、実際にどうしたら可能になるのだろう?)


p.74

アメリカは世界でももっともはっきり宗教的であることを自認する国だ。神への言及が国民生活のすみずみまで浸透しており、貨幣から建築物、さらには一般的な話し言葉にもそれが見出される---In God we trust(我ら神を信頼す-貨幣に刻まれた言葉)、God's country(神の恵み豊かな国)、God bless America(アメリカに神のご加護あれ)などなど。ジョージ・ブッシュの支持母体になっているのは6000万から7000万人の原理主義キリスト教徒で、彼らは、ブッシュ本人と同様に、自分達はイエスに会ったことがあり、ここにいるのは神の国において神の仕事を果たすためだと信じている。(略)けれども、そのような願望という説明があてはまるのは一定のところまでだ。もっと重要なのは、預言的な啓示、時には黙示録的なこともある使命感への固い信念や、細かい事実や複雑な問題は軽視するという態度である。この国が、騒然とした世界から地理的に大きく隔たっていることも要因のひとつであり、地続きの隣国カナダとメキシコにはアメリカの熱狂を和らげる能力がほとんどないという事実もまたしかりである。


アメリカの正義、善良さ、自由、経済的な将来性、社会の進歩などの考えが形成。イデオロギー的に日常生活の構造にしっかり組み込まれているので、イデオロギーであることさえ気づかれず、自然の一部としてみなされるようになっている。

・アメリカ=善=完全な忠誠と愛
・建国の父達にチアする無条件の崇拝
・憲法に対する無条件の崇拝
・国旗を振ることにこれほど重要な図像学的な役割を持たせている国は他にない
・英雄的な耐性と価値なき敵との戦い→愛国心

※愛国心が今もアメリカの最上の美徳であり、それに結びついているのが宗教、家族、そして正しい行いをすることだ---自国ばかりか世界中で。


p.100
ラガドのアカデミー:
ガリヴァー旅行記』の第三篇で、ガリヴァーは空に浮く島ラピュタを訪問する。自然に対して不自然に対応する人々が住む、抽象的で現実性のない支離滅裂な社会。ラピュタが支配する地上の王国バルバーニの首都ラガドにはグランド・アカデミーと呼ばれる施設があり、研究者達がめいめいに奇想天外で実用性のない、有害とさえいえるプロジェクトに没頭している。このアカデミーで行われている研究はいっこうに完成する気配はなく、それまでは国中が惨憺たる荒廃のなかに放置され、人々は衣食にもこと欠く状態だが、彼らはいっこうに気にしない。

この辺りを参照するといいかもです。