司馬遼太郎『街道をゆく ニューヨーク散歩』

ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)

ニューヨーク散歩―街道をゆく〈39〉 (朝日文芸文庫)


司馬遼太郎街道をゆく ニューヨーク散歩』を読了。いや、何となくニューヨークから帰ってきてぼけーっとしている頭で、「そういえば街道をゆくでニューヨークって行ってたな」と思って本棚から探し出した。

興味深い話がとても多かったんだけど、その中でコロンビア大学についての記述があって、教育関連の言葉が紹介されていたのでメモ。
司馬さんの話は、余談こそがおもしろく、何度読んでも新しい発見がある。この本を初めて読んだのは確か大学生の頃だったと思うけど、その頃と反応するポイントが違うのがおもしろいよね。

p.145

キーンさんは、復員後、大学にもどり、大学院で角田先生の瓶(へい)から水のすべてを自分の瓶に瀉(そそ)いでもらった。瓶(へい)を呉音で瓶(びょう)と読んで、瀉瓶(しゃびょう)という。
このことばは、『広辞苑』にはある。しかし古い漢語の辞典には見あたらない。
空海が創めた真言宗では、「瀉瓶相承(しゃびょうそうじょう)」は、重要な用語である。
このことばは、空海の師である恵果(えか)がつかった。
真言密教は、インドから唐に入った。恵果のころは、すでに道教に帝室の人気をうばわれ、衰弱しきっていた。そういうとき、はるかな日本から空海がきた。
恵果は空海をみてよろこび、すべてを伝えた。このとき恵果がいったことばが瀉瓶で、恵果の造語だったかもしれない。