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山本周五郎『泣き言はいわない』

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泣き言はいわない (新潮文庫)

泣き言はいわない (新潮文庫)


 人生で初の山本周五郎です。何から読もうかと思って文庫の棚を見て、ちょっと凹んでいるタイミングだったので、『泣き言はいわない』にしました。いや、名言の嵐だ。やばいこれは…。テンション上がるな。そして、作品も読んでみたくなった。なるよ、これは!
 以下、メモ。
p.47
「人の生活は頭で考えるようにゆくものではない、しかし、考えなしにやればなにごとでもできはしない、考えたことの万分の一でも、実際に生かしてゆくのが本当の生活だと思う」(「天地静大」杉浦透)

p.61-62
たいていの人間が、一生にいちどは放蕩にとらわれるものだ。同時に、その大部分の者がそこから無事にぬけだし、ちょうど病気の恢復したあと、しばしば以前よりも健康になる例があるように、放蕩の経験のない者よりもはるかにしっかりした、堅実な人間になる場合が少なくない。けれども、放蕩に溺れて、どうしてもそこからぬけだせない人間もある。幾たびぬけだしても、すぐにまた引戻されてしまい、ついには自分もほろび、周囲の者をも不幸にする、という人間があるのだ。(虚空遍歴)

p.63
人間はどこまでも人間であり、弱さや欠点をもたない者はない。ただ自分に与えられた職に責任を感じ、その職能をはたすために努力するかしないか、というところに差ができてくるだけだ。(ながい坂)

p.63-64
「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい」(橋の下)

p.91
「男が自分の仕事にいのちを賭けるということは、他人の仕事を否定することではなく、どんな障害にあっても屈せず、また、そのときの流行に支配されることなく、自分の信じた道を守りとおしてゆくことなんだ」(虚空遍歴)

p.91
男というものは、ときどき「おれはこんなばかな人間だったのか」と思って冷汗をかくものだ。(からっぽの箪笥)

p.115
「勝負には勝つという確信が大切だ、互角の腕なら勝つという確信をもつ者に分がある、慢心はいけないが、自分を信ずる気力を失うことはみずから負けることだ」(「花も刀も」平手幹太郎)

p.117
「男が一生を賭けた仕事に、あせってやってできるものがあるか、おれはこれまでに幾たびも失敗した、これからも失敗するだろうと思う、しかしね、失敗することは本物に近づくもっともよい階段なんだよ、みていてくれ、おれはこんどこそ本物をつかんでみせるからね」(「虚空遍歴」中藤冲也)

p.149-150
人間の生活には波があって、好況があれば必ず不況がある。好況のときにはスポーツ・カーなどを買って乗り廻したり、キャバレーで金をばらまいたりする。そして不況、倒産となると、すぐに一家心中とか自殺にはしってしまう。もちろん、そこに到る経過は単純ではなく、多くの複雑な因果関係が絡みあっていることだろうが、自分が苦しいときは他人も苦しいということ。その苦境は永久的なものではなく、いつか好転するということをなぜ考えられないのだろう。三食を一食にしても切抜けてやろう、というねばり強さがなければ、人間生活とはいえないのではないか。(金銭について)

p.153-154
「学問はただ詰め込むだけが能ではない、学問だけがどんなに進んでも、おまえ自身がそれについてゆけなければ、まなんだことはなんの役にも立たない、ひとが二年かかるところを四年かけてやっても、それが身についたものならはるかに強いし力があるものだ」(ながい坂)

p.154
「いいか、――自分の勘にたよってはならない、理論や他人の説にたよってもならない、自分の経験にもたよるな、大切なのは現実に観ることだ、自分の眼で、感覚で、そこにあるものを観、そこにあるものをつかむことだ」(正雪記)