東浩紀編『別冊思想地図beta メディアを語る』

メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2)

メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2)


おもしろかった!川上量生さん、宇川直宏さん、濱野智史さんと、ネットに対してそれぞれの関わり方をしている3人と、東浩紀さんとの対話。特におもしろかったのは、ネット上での人の意見ってものがどう政治に生きるのかとか。興味深かったなあ。

東 蓮舫さんに罵倒中傷のリプライを投げている人たちは、1回投稿するごとにネット民主主義が確実に遠のいていると思わなければならない。ツイートは実は多くの人から見られている。ああいう無意味な中傷は、ネット民主主義を実現したくない人たちからは格好の口実になる。しかも、どうせその主張は肝心の蓮舫さんに届いていないわけです。つまり、ああいった行為はネット民主主義を遠のかせる効果しかない。しかし日本のネットユーザーの一定数は、多くの政治家に向けてそういうことをやってしまっている。そんな状況で「いますぐネット民主主義が実現しなくてはならない」と言っても、それは無理だろうと思います。(p.171)

まったくだよね。で、結果的に言えるのは、

濱野 東さんは先日ツイートで、結局のところ日本には、匿名的なツールをうまく使いこなすだけの民度がない、と表現されましたよね。そのあたりは僕も意見が一緒で、アメリカで匿名サイトが出ていたとき、僕はやはりアメリカはインドが高いなあ、と思ってしまいました。AnonymousにしてもWikiLeaksにしても、たいへんすばらしい理念に貫かれている。(略)もちろんある意味では非常に暴力的なことをやっているので、そういう観点ではよろしくないと言えるのかもしれません。でも、理念として、目的としては立派なわけです。そういうものに匿名性を使うという意味では、至極まっとうです。(p.158)

とか、

東 日本のネットはツッコミメディアから卒業しなければならない。ツッコミメディアとしてしか機能しないのでは、最後の最後に逆転できない。ツッコミだけが暴走する。さっきも言いましたが、いまの日本でネット献金やネット選挙を全面的に解禁したら、政治家はまとめサイトの顔色を見て政策を決めることになってしまう。(p.181-182)

とか、その通りだよね。これは「ネガ出し」をやめて「ポジ出し」をしよう、というのにも近いかな。社会にコミットしていく人が、もっともっとネットを使っていくようになる、というふうになっていけばいいな、と思います。いやー、興奮しすぎてドキドキしてきた。
以下、メモ。

p.21-22「
川上 ゲームの世界でも、実は現在のソーシャルゲーム業界はきわめて対照的なんです。ソーシャルゲームの世界には、「怪盗ロワイヤル型」とか「牧場型」みたいなすでに固まったいくつかの類型があるんですよ。「このタイプのキャラを使うんだったらこの型のゲームを作りましょう、すると売り上げはこのくらいで人気の持続はこれくらいです」みたいにあらかじめ全部計算したうえで、ソーシャルゲームのマーケティングはなされています」

p.27-28「
川上 ニコニコミュージカルではちょうどいま、角川歴彦会長が『源氏物語 千年の謎』という映画を製作するのにあわせて、プロモーションも兼ねて源氏物語のミュージカルを作っています。この前シナリオができたので発表会に参加したら、「源氏物語平安時代非モテ女子が書いたライトノベルだった」という物語の設定を知らされてそのときはたいへん衝撃を受けたんですが(笑)、どうもあながち嘘でもないみたいじゃないですか。実際に源氏物語は、漢文が主流だった時代に仮名で書かれた物語で、女子どもばかりが読む文化だった。さらに当時の流通方法といえば写本で、書き写すときにいろいろな人が勝手に物語を書き加えていったらしい。宇治十帖なんかは紫式部以外の人間が書いたという説もありますよね。とすれば、源氏物語は当時ほとんど同人誌のように人びとのあいだを流通し消費されていたことになるわけで、それでもいままで残って高尚な文学作品として学校で習うじゃないですか。だから、人びとが消費している文化はどの時代もほとんど似たようなもので、後世に残るか残らないかはほとんど偶然によっているということになりませんか?」

p.34
東が興味深いと紹介している本

村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎『文明としてのイエ社会』

  • 東日本対西日本という対立が、西欧対東欧の対立に重なっている
  • 西日本と東欧では土地保有の形態が似ていて、そのときにさらなる辺境として存在している西欧=東日本は資本主義に対して最も適合性が高い

p.53「
川上 「文系」と「理系」とはあまり有益な分類ではないと思うが、現実問題として日本では両者の世界の断絶は根深いものがある。
今後、ITとネットが世界と人間をどう変えていくかを論じるとき、両者の意見交換なんて生ぬるいものではなく、お互いの領域に踏み込みあえる、融合した教養をもつ人間を育成していかないと、本質的な議論はもはやできない時代になりつつあるのではないか今回の対談を通じてあらためて思った。」

p.158「
濱野 東さんは先日ツイートで、結局のところ日本には、匿名的なツールをうまく使いこなすだけの民度がない、と表現されましたよね。そのあたりは僕も意見が一緒で、アメリカで匿名サイトが出ていたとき、僕はやはりアメリカはインドが高いなあ、と思ってしまいました。AnonymousにしてもWikiLeaksにしても、たいへんすばらしい理念に貫かれている。(略)もちろんある意味では非常に暴力的なことをやっているので、そういう観点ではよろしくないと言えるのかもしれません。でも、理念として、目的としては立派なわけです。そういうものに匿名性を使うという意味では、至極まっとうです。」

p.160「
濱野 うまく敵を見つけようと言っても、結局それはレッテル貼りにしかならない。「民主党の政治家が悪いんだよ!」と言っても、それこそ2ちゃんねらーそのものになってしまう。それも違うなあ、という感じもします。そういう状況のそのもののほうが問題なのではないかと。変な話、メディアリテラシーだけは異様に高くなってしまっている。これをリテラシーと称するのも変かもしれませんが、あら探しの能力ばかりが高くなっている。その矛先がうまく見つかっていないというか、マッチングがうまくいっていないという印象です。」

p.171「
東 蓮舫さんに罵倒中傷のリプライを投げている人たちは、1回投稿するごとにネット民主主義が確実に遠のいていると思わなければならない。ツイートは実は多くの人から見られている。ああいう無意味な中傷は、ネット民主主義を実現したくない人たちからは格好の口実になる。しかも、どうせその主張は肝心の蓮舫さんに届いていないわけです。つまり、ああいった行為はネット民主主義を遠のかせる効果しかない。しかし日本のネットユーザーの一定数は、多くの政治家に向けてそういうことをやってしまっている。そんな状況で「いますぐネット民主主義が実現しなくてはならない」と言っても、それは無理だろうと思います。」

p.178「
濱野 いま日本の若い人で、シニカルな目線を持っている人であれば、もうだいたい2ちゃんねらーになってしまう。うまいことなにか理念をつけてあげないとシニカルな物の見かただけが、ひたすら暴走し続ける。」

p.181-182「
東 日本のネットはツッコミメディアから卒業しなければならない。ツッコミメディアとしてしか機能しないのでは、最後の最後に逆転できない。ツッコミだけが暴走する。さっきも言いましたが、いまの日本でネット献金やネット選挙を全面的に解禁したら、政治家はまとめサイトの顔色を見て政策を決めることになってしまう。」