鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの』

戦争が遺したもの

戦争が遺したもの


古今東西、哲学者というか思想家の中では、鶴見俊輔さんがいちばん好きです。プラグマティズムをアメリカから日本に紹介した人ですけど、それだけじゃない感じがして、漫画でも何でも読んでみる、なんていうか何にもカテゴライズされないで雑食な感じがまずいい。それから、行動するところがいい。部屋でぐちゃぐちゃ考えているだけじゃなくて、べ平連とかやったり、『思想の科学』を発刊したり。もちろん、とんちんかんなところとかもあるんだろうけど、それはもがいて動いて…としていたら仕方のないことだと思うから。
その鶴見俊輔さんに話を聞く小熊英二さんも好きな書き手さんです。これは読まなきゃ、ということで。おもしろいエピソードもいっぱい。以下にメモ。メモをとってみると、鶴見さんの言葉よりも小熊さんの言葉の方が多かったりするけど(笑)

p.322
西部邁『蜃気楼の中へ』(中公文庫):アメリカ紀行。いい文章らしい。読みたいな。


p.349
(小熊さん)

吉本隆明さんは、三島(由紀夫)が死んだという知らせを受けたときに、「お前は何をしてきたのか」と突きつけられたような思いがして、特攻隊で死んだ同年輩の青年たちを思い出した。しかしその一方で、政治的な声明文や辞世の区は「くだらない」と思ったという。そういう共感と反発の両面を書いている


p.360
(小熊さん)

小田さんがご自分で書いてらっしゃる言い方だと、自分たちは「三代目日本人」であると。つまり、明治の「一代目」が欧米に追いつけ追い越せ、戦前の「二代目」がナショナリズムに目覚めて夜郎自大、だけど「三代目」は初めから対等の関係で相手を見るという。


p.374
べ平連の三原則
(1)やりたい者がやる、やりたくない者はやらない
(2)やりたい者はやりたくない者を強制しない
(3)やりたくない者はやりたい者の足をひっぱらない

小田実が残している原則は…(1970年くらい)
「何でもいいから好きなことをやれ」
「他人のすることにとやかく文句をいうな」
「行動を提案するなら必ず自分が先にやれ」


p.388
(上野さん)

学生は、教師が何をやっているかでは見ないんですよ。どんな姿勢でやっているかしか見ないんです。


p.392-393
(鶴見さん)

私は、マスとしての国家とか世代には、期待しないんだ。私が自分でずっと持っているパトリオティズムの対象は、もっと小さいものなんだよ。それは日本にかぎらず、世界中にそういう場があるんだ。
たとえば留学次代の私を泊めてくれたアメリカの家庭だよね。私はアメリカの国家には批判的だけれど、彼らへのパトリオティズムがあるんだよ。そういう場が、世界中にポツン、ポツンとあるわっけだ。それは領土っていうのとは、あまり関係ないよね。
そういうふうに政治的な理想をになう人間のつながりを、自分のなかに持っている。だからアナーキストとしての私と、そういうパトリオティズムは矛盾しない。私は、国家を全部破壊してしまって、アナーキーにしたらすばらしい純粋なものが出てくるなんて、そんな幻想を持っているアナーキストじゃないんだ。


p.395
(上野さんによるあとがき)

自由主義者を名のる鶴見さんは実のところ、どんな主義者でもない。どんな教条からも自由な知性として、鶴見さんはことの起きるたびに、この人ならではと思わせるしかたで身を処してきた。(略)鶴見さんは、わたしにとって、何か事件が起きるたびに、この人ならどうこの事態に対処するだろうかと思いを馳せる準拠となり、そのなにものにも頼らない柔軟で強靭な姿勢に、わたしは敬服しつづけてきた。