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井沢元彦『井沢式「日本史入門」講座 5 朝幕併存と天皇教の巻』

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井沢式「日本史入門」講座〈5〉朝幕併存と天皇教の巻

井沢式「日本史入門」講座〈5〉朝幕併存と天皇教の巻


おもしろかった。「逆説の日本史」で読んだことあるような…と思いつつ、近現代の辺りまで含まれていたのがおもしろかった。途中、太平洋戦争開戦前の中国撤兵拒否で最も強かった論理が、「英霊に申しわけない」というものだった、というのがおもしろかった。感情+伝統を覆して、論理を通すのが政治家の役割じゃろうが…とも思うし、それがとてつもなく難しかろうな、というのも想像がつく。
あと、「後三年の戦い」と言わず「後三年の役」という理由とかも。豊臣秀吉朝鮮出兵=「文禄の役」「慶長の役」、元寇=「文永の役」「弘安の役」と言うわけで、日本史においては、異民族との戦争の場合、基本的に「役」が使われるのだそうな。へーへー。
以下、メモ。

崇徳院
この国の王を民に、民を王にしてやる」という呪いの言葉を残して亡くなったという。

p.24「
当時の日本にも、アメリカとの戦争はやめろ、一度に二つの大国(アメリカと中国)を相手にするなどというバカなことはよせという意見はちゃんとありました。今、中国と戦争しているだけでも大変なのに、この上アメリカとも開戦したら、日本の滅亡につながりかねない、ということです。
まさに現実はそうなったわけですが、実は、東条英機が一番言及し、なおかつみんなが納得した中国撤兵拒否の論理は、「英霊に申しわけない」ということだったのです。
明治維新後、日本は、日清・日露戦争の多大な犠牲者の上にこれだけの国力を築きました。その、国の礎となって死んでいった大勢の軍人たちのことを考えろというわけです。


p.25「
そこで今言われているのが、「日本が平和な国家になるために何百万人もの人が死んだ。だから平和憲法を変えてはならない」という当時とは逆の言い方です。

p.30「
天皇のような偉い人ですら、死ねばケガレが生じます。ケガレは除去しなければいけないものですから、昔は天皇一代ごとに都を移していましたし、藤原道長のように人臣の位をきわめた人でも、亡くなると、その遺体は山中に捨てられました。今の感覚では不思議に思うかもしれませんが、藤原道長のお墓というものは、実はないのです。それぐらい死をケガレとして嫌う民族が、古代の日本を支配していたのです。
しかし、まさに皮肉なことですが、死をケガレとして嫌うがゆえに、彼らは支配者でありながら、軍事や治安維持を担うことができなくなっていったのです。
治安維持は、どうしても刑罰を伴います。当然、死刑もあります。死刑はまさに死のケガレに触れることです。その証拠に、平安時代の中期から末期にかけての百年ぐらいの間、日本には死刑執行例が一つもありません。これは世界史と比べたとき、日本史の最も顕著な特徴の一つと言えます。

p.169「
源頼朝の遠い先祖である源義家は、八幡太郎義家として有名な人物で、源氏中興の祖です。八幡太郎義家も東北の人たちと戦っていますが、その戦いは、前九年の役、後三年の役と言います。この古戦場の近くに、今もJR東日本奥羽本線の「後三年駅」という駅があります。
この戦いを「後三年の戦い」と言わず「後三年の役」というのは、理由があります。
それは、他の「役」と名の付く戦いを見ればわかります。
例えば豊臣秀吉朝鮮出兵を「文禄の役」、「慶長の役」と言います。あるいは、元が攻めてきたときも「文永の役」、「弘安の役」と言います。
つまり、日本史においては、異民族との戦争の場合、基本的に「役」が使われるのです。