齋藤孝/梅田望夫『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)


ネットという身体を拡張する方向で新しいライフスタイルを提示している梅田さんと、日本古来の身体性を大事にしている(という印象がある)齋藤先生の対談本。非常におもしろかった。
特に梅田さんの言うオープンにしたままで何かをし続ける強さ、というのは、学校教育の中に何とか取り入れられないかなあ、と思う。

これからの時代は、新しいタイプの強さを個々人が求められていくと思うんです。その強さとは何かを突き詰めて言えば、オープンにしたままで何かをし続ける強さ。たくさんの良いことの中にまざってくる少しの、でもとても嫌なことに耐える強さです。そこを乗り越えて慣れてしまえば、全く違う世界が広がる。(p.54)

オープンにして、人からの意見をもらって、何かを創り上げていくこと。その途中には多少の嫌なことがあるけど、でもそれによって自分じゃない異物を取り入れられること。こういうことこそ、子どもの頃に体験させておくことで、したたかにしなやかに強い「生きる力」が身につく気がするのだよなぁ。
以下、メモ。

p.45 梅田「
オープンソースのプロジェクトでも、リーダーが没頭しているものでないとうまくいかないのです。その情熱にみんな引き寄せられてくる。多くの心ある人が、自分がもっとも大事だと思っている関心事項について、志向性の共同体たる私塾のようなものをネットの上でつくっていくと、さまざまな可能性がひらかれる。


p.46 齋藤「
僕は、教育は「あこがれにあこがれる」という構造だと思っているのですが、自分はそもそも何にあこがれたいかがはっきり見えずに、迷っていたり、もがいているのが普通なんですね。何かに対する強烈な「あこがれ」を体現し、猛烈な勢いで学び続けている先生が身近にいれば、その「あこがれ」に感化される。しかし、現実問題として、情熱が噴出している先生に出会えないこともある。ネット空間の中で、そういう「あこがれのベクトル」に出会えれば、「あこがれ渇望期」をポジティブにのりきっていけると思います。


p.54 梅田「
これからの時代は、新しいタイプの強さを個々人が求められていくと思うんです。その強さとは何かを突き詰めて言えば、オープンにしたままで何かをし続ける強さ。たくさんの良いことの中にまざってくる少しの、でもとても嫌なことに耐える強さです。そこを乗り越えて慣れてしまえば、全く違う世界が広がる。


p.59 梅田「
「何かひとつ仕事を」というほど明確なものは見えていなかったけれど、40歳になって「精神的な組み換えが行われてしまう」前に、いったい自分に何ができるのかを確かめたい、一人になったときに自分の身に何が起こるのかを見てみたいと私は強く望み、独立する決心をしたのでした。

村上春樹『遠い太鼓』が40歳が大きな転換点である、と語っていることをうけて。


p.100 梅田「
今まで書いたブログエントリーのなかで、一番アクセスが多かったのは、酔っ払って書いた文章だったのですが、「もっとほめろよ、おまえたち」という文章です(「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」) )。

p.166 齋藤「
ビジョン、アイデア、スタイルの3つの概念を僕はふだんよく意識するのですが、まずビジョンがないことには、何も始まらないきがします。ビジョンすなわち、みんながこういうふうになっているといいなという映像みたいなものが心の中にあって、それを実現するためにいろいろなアイデアを作っていく。そのときに、戦う戦略の統合体みたいなもの、すなわちスタイルがあると強い。自分のスタイルがはっきりとあると、アイデアをうみだしていってビジョンを実現するプロセスのなかで、一種の美意識を感じることができるんですよね。