童門冬二『論語とソロバン 渋沢栄一に学ぶ日本資本主義の明日』

論語とソロバン―渋沢栄一に学ぶ日本資本主義の明日

論語とソロバン―渋沢栄一に学ぶ日本資本主義の明日


仕事絡みで渋沢栄一研究。優秀な人が揃って官界に入っていった明治初期に、民の立場を上げるため、自分で民に入って積極的に活動をしていた方。会社は作るわ、学校は作るわ。今の日本の基礎を作った人ですな。
もっともっといろいろ知りたい。いい研究書はないかしら。以下、メモ。

p.127-129
渋沢栄一訓言集』(竜門社編)より抜粋

「商業上の真意義は、自利利他である。個人の利益はすなわち国家の富にして、私利すなわち公益である。公益となるべきほどの私利でなければ真の私利とは言わない」
「企業家において、まず第一に心すべきは、数の観念である。最も綿密に成算し、右から見ても左から見ても、間違いがないようでなければならない」
「事業を起こすにあたりては、協力者の人となりを明察せねばならない。協力者の不道徳、不信用ほど恐るべきものはない。迷惑のおよぶところは、一個人の上ばかりでなく、ために事務進行上に容易ならぬ事態を惹起することがある。かくのごときは事業家として、もっとも戒心すべきことである」
「個人の仕事でも会社の事業でも、天運よりは、人の和が大切である。人の和さえあらば、よし逆境に立っても成功するものである。ここにいう和とは、4つの要件を具備せねばならない。第一、志操の堅実なること。第二、知識の豊富なること。第三、勉強心の旺盛なること。第四、忍耐力の強固なること。この4つを具備し、而して和を得れば天の時も地の利も、顧慮する要はなかろう」


p.131

政府は、藩閥政治をおこなっている。藩閥政治の恐るべきところは単に権力の集中だけではない。それぞれの藩閥が、後進育成にひじょうに力を尽くしていることだ。それぞれの藩閥が故郷から有能な若者を招いてはこれに資金を与え教育し、そして官界に登用する。これが続けば、日本の有能な人材は全部官界に入ってしまい、実業界には能力の劣った若者しか残らなくなる


p.175

渋沢はもともと気が短い。そこでかれは腹が立つたびに、
(ひとつ、ふたつ、みっつ…)
と数を数えた。十まで数えるとだいたい怒りが収まる。そうしたうえで、
(この事態をどうするか)
と本格的な改革案に取り組む。腹が立ったまんま改革案を考えると、なにがなんでも、
「この連中をやっつけなければ気がすまない」
というような感情論が前に出た、報復が目立つ。それでは改革はできない。相手の納得も得られない。


p.278

「日本に合本主義とバンクを導入しよう」
と心に決めていた。大蔵省を辞めるときはすでにその構想の現実化がはかられていた。第一国立銀行の設立である。心ある友人たちは、
「きみのような有能な人物が国家から去るのはじつに残念だ。まして私利私欲に走りがちな民業に携わるのは無謀である」
といった。このいい方も栄一にはカチンとくる。
(略)
「はっきりいいます。官吏は凡庸の者でも勤まります。しかし商工業者は相当才腕がなくては勤まりません。が、見渡したところ今日の日本の商工業者には、実力のある者が少ない。これは士農工商という階級思想の名残です。政府の役人たることはみんな誰でも光栄に感ずるが、商工業者であることははずかしく思う。この誤った考えを一掃することが日本のために急務です。それには何よりも商工業者の実力を養い、その地位と品位を向上させなければなりません。つまり商工業界を社会の上層に位させて、徳義を具現するのは商工業者であるということを示す必要があります。
この大目的のために精進するのがわたしの志であり、男子の本懐です。わたしは商工業に関する経験はありません。しかし『論語』一巻を処世の指針として、これによって商工業の発達をはかっていこうと思います。民間に品位ある知行合一の商工業者が輩出して経営の任に当たるようにならなければ日本は発展しません。こういう事情で官を辞したのですから、どうか諸君もわたしの志を貫徹させていただきたい」
かれの考えがはっきり出ている。


p.280

栄一がここで払拭したいのは民業をいやしいとみるその考え方だ。
「民業はいやしくない。官界とならべて立ち得る生息次元なのだ。そして国家にとって必要欠くべからざる事業なのだ」
ということを立証したい。それにはやはり掴まるべき大きな木が必要だ。その木を栄一は、
論語にしよう」
と定めたのである。