石角完爾『アメリカのスーパーエリート教育』


副題は「「独創」力とリーダーシップを育てる全寮制学校(ボーディングスクール)」。アメリカの教育は「出る杭をさらに伸ばす」イメージ。そんな国のエリート教育がどんなものだかを知りたくて。それと、日本版エリート校と銘打った海陽学園と似ているところ、違うところとかも調べてみたかったので。
学校の目的を、各自の独自性の発見(Find your own uniqueness)と成功の各自定義の確立(Define your own success)だと明確に言い切っちゃっている校長先生が出てくるのですが、なるほどね、と思ってしまった。でも、アメリカでしかできないことじゃないだろう。日本で近いことをやっている学校ってないのかな…。
以下、メモ。

p.7
教育には強力な伝播力がある
・人間は自分が受けた教育を基にして次の世代を教育していく。
 (縦の承継)
・また、同時代に自分よりも若い人、同僚、年上の人にさえ教育できる。
 (横の承継)


私はこの現象を教育の「縦継承」と「横継承」と呼んでいる。縦軸、横軸が同時に広がっていくのである。だから教育には爆発的な伝播力があるのだ。


p.10
教育方式の2つのタイプ
1)ボトムアップ方式
・一国または一地域の子ども全体を一定レベルに押し上げるために均一の教育をする
・政府がこの役割を担い、教育内容も政府が決める
・義務教育課、大人数を教えるための仕組みをとる
・全員が同じ内容、個性を認めることが難しい

2)プルアップ方式
・ごく一部の、それを望む生徒のみを集めて将来いずれかの分野で指導者になるように教育して世に送り出すことで、そのような教育を受けていない人々に対して、自分が受けたエリート教育の成果を還元し、社会全体を引っ張り上げる
・社会全体を引っ張り上げる指導者、社会奉仕者にならなくてはならない
・人をひきつける魅力ある人間になるため、音楽や芸術などの情操教育が重視
・ある分野の指導者になるために「語りかける」能力や説得力などを伸ばす
・不得意な分野はそこそこでよいとし、むしろ得意分野を徹底的に伸ばす


p.22
代表的ボーディングスクール=The Ten Schools


p.48
デニス・グラブズ校長(ウィリストン・ノーザンプトン・スクール)

ほとんどの生徒は当校に入学してくる時に、他の同学年の生徒といろいろな面で同じようにありたいと希望して入学してくる。そして親も自分の子どもが他の生徒と比べて同じであってほしいという気持ちが強い。しかし当校の教育の目的は生徒一人ひとりが他の生徒とは違うのだということを認識してもらうことにある。学校教育のいちばん重要な目的の一つは、生徒一人ひとりが自分自身のユニークネス(独自性)を見つけることを助けることにある。もう一つ、当校の学校教育の理念であり目的の一つで重要なものがある。それは生徒一人ひとりが自分自身にとっての人生における“成功”の定義を見つけることだ。学校が人生の成功は何かという定義を決めるのではない。学校はあくまでも生徒一人ひとりが自分胃とっての成功の定義を見つける手助けをする所である。


・各自の独自性の発見(Find your own uniqueness)
・成功の各自定義の確立(Define your own success)


p.52

多くのボーディングスクールでは中間あるいは学期末の試験が終わった後、「私は試験で不正行為をしませんでした」という誓約書にサインさせられる。


p.112

ボーディングスクールでは個別主義、能力別、少人数制である。そして授業の進め方はソクラティク・メソッド(問答教授法)、つまりディスカッション(議論)、質疑応答が主となる。これは理数系科目でも同じである。このスタイルについていけない生徒に対しては救済手段(エクストラ・ヘルプ)としてマンツーマンの介護的個別教授(Tutoring)を別途行う。


p.114

学校当局から、9月からの新学期の学年と科目選択について学校当局の考え方を書いたレターが両親に届けられることになる。(略)さらに生徒が取るべき具体的な科目名が列記されており、それらの科目の履修を推奨する具体的な理由と経緯が細かく記されている。


p.136

ライフ・スキルズとは生徒がその後の人生を危険なく過ごしていくために必要な進退上の知識、精神上の安全など、たとえば自己暗示方法、不安や躊躇からの回避方法、ストレス・マネージメント、薬物などからいかに遠ざかるかの方法、性教育などである。


p.187

ボーディングスクールの入学審査方式でもエンスジアズムが重要(略)エンスジアズムとはどんな分野でもいいから、たとえばキャプテンをやっているとか、アワードを受賞しているとか、その分野でのリーダーシップを示す程度に力を入れている、ということである。