山形浩生『訳者解説 新教養主義宣言リターンズ』

山形浩生さんは、僕にとってはほぼ唯一の、翻訳者の名前で本を選ばせる力のある人。「山形さんが翻訳するなら、おもしろいんだろうな」と思うもの。で、その山形さんの訳書の最後には、けっこう長い解説があることが多くて、そっちの解説の方が好きだったりすることも多いので、こういう本は大歓迎ですね。ちなみに、いちばんびっくりしたのは、「おお、アイヒマン実験をやったミルグラムって、「六次の隔たり」の実験をやったミルグラムなのか!?」ってこと。
あと、ビョルン・ロンボルグ『地球と一緒に頭も冷やせ!』の解説の中で紹介されていることが、「ほんとだよなー」と思えたので、以下、抜き書き。

大きめの石炭火力発電所を作れば問題はすべて解決するのはみんな知っていた。だが西側先進国の環境NGOと、それにそそのかされた地元の(金持ちインテリ大学生ノ)NGOとが、地球温暖化を理由にしてそれに猛反対を展開し、各種工作で何年にもわたり発電所建設を阻止していたのだった。
どう思われるだろう。地球温暖化で本格的な影響が出てくるのは、今世紀も末になってからだ。それを避けるために、いま人々が停電に苦しみ、いま人々が雇用のないまま苦しみ、いまその国の人が低い生活水準を強いられ――教育も保健もその他すべての点で満足なものを得られず――それでもかまわないと言うんだろうか?いったい何のための温暖化防止なのか?目の前の人々の苦しみを平気で放置できる人々が、今世紀末の人々のことを心配しているといって、あなたは信じられるだろうか。
先進国の多くの人々は、温暖化議論や排出削減が、なにやら優雅なライフスタイルの問題だと思っている。みんなちょっと自動車を控えましょうとか、ちょっと電気を消しましょうとか、裏紙を使いましょうとかスローライフとか。でも実際はちがう。それは社会全体に対し、もっと失業者を増やせとか、もっと早死にしろとかいうに等しい話だ。そして、実際にそうした選択を、自主的にではなく外圧によって強制されている人々がいる。それでいいんだろうか?あなたはその排出削減で生活水準が低下する人々のところへいって、おまえたちは貧しいままでいろと言えるだろうか?(p.218-219)

いろいろ、考えさせられます。

p.114(スタンレー・ミルグラム『服従の心理』)
アイヒマン実験が示したもの:悪は人間離れした怪物が生むものではなく、むしろ凡庸さ/陳腐さの産物であり、平凡な人たちが恐ろしいことをし得る。

「だが、それに対して何ができるだろうか?あらゆる権威をぶちこわせなどというガキめいた妄想は論外としても、単純な答えとしては、もっと道徳教育をいちんとしようとか、周囲の圧力に負けずに正しいことをきちんと主張して行動するよう奨励しましょう、ということになる。が、ミルグラムはここでとてもおもしろい主張をする。教えるという行為自体、何らかの権威への服従を前提にしないと不可能だ。教育はある程度は「先生の言うことはだまってきけ」という条件付けだからだ。権威に屈するなという教育自体が権威に屈することを強要する――となると、八方塞がりではないか」

p.116(スタンレー・ミルグラム『服従の心理』)
アイヒマン実験も、スモールワールド実験(六次の隔たり実験)も、ミルグラムなのか!

p.200(ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』)「
ある人は、本書を読んで世界観が変わったという。世界って、いいところだったんだ、ということに改めて気がついたという。言われてみれば、未来に対し、冷静に希望を持とう、と言ってくれる本は(考えてみると恐ろしいことだが)少ない。これは環境分野に限らない。」

p.203(ビョルン・ロンボルグ『地球と一緒に頭も冷やせ!』)
二酸化炭素の排出を抑えたら、何が実現されるの?
→実は明確な答えは出ていない。漠然とあるのは、次の3つのポイントくらい?
1.温度が上がると、本当に地球は各種の大災厄に見舞われるの?
2.二酸化炭素排出を減らしたら、温度は下がって大災厄は避けられるの?
3.そもそも二酸化炭素排出は減らせるの?

p.218-219(ビョルン・ロンボルグ『地球と一緒に頭も冷やせ!』)
インド洋の島国での出来事。
・電力危機を迎え、電気が足りない。
・電気事情の不安定さのため、各種産業がその国に来たがらず、工場ができないので失業率も高い。

「大きめの石炭火力発電所を作れば問題はすべて解決するのはみんな知っていた。だが西側先進国の環境NGOと、それにそそのかされた地元の(金持ちインテリ大学生ノ)NGOとが、地球温暖化を理由にしてそれに猛反対を展開し、各種工作で何年にもわたり発電所建設を阻止していたのだった。
どう思われるだろう。地球温暖化で本格的な影響が出てくるのは、今世紀も末になってからだ。それを避けるために、いま人々が停電に苦しみ、いま人々が雇用のないまま苦しみ、いまその国の人が低い生活水準を強いられ――教育も保健もその他すべての点で満足なものを得られず――それでもかまわないと言うんだろうか?いったい何のための温暖化防止なのか?目の前の人々の苦しみを平気で放置できる人々が、今世紀末の人々のことを心配しているといって、あなたは信じられるだろうか。
先進国の多くの人々は、温暖化議論や排出削減が、なにやら優雅なライフスタイルの問題だと思っている。みんなちょっと自動車を控えましょうとか、ちょっと電気を消しましょうとか、裏紙を使いましょうとかスローライフとか。でも実際はちがう。それは社会全体に対し、もっと失業者を増やせとか、もっと早死にしろとかいうに等しい話だ。そして、実際にそうした選択を、自主的にではなく外圧によって強制されている人々がいる。それでいいんだろうか?あなたはその排出削減で生活水準が低下する人々のところへいって、おまえたちは貧しいままでいろと言えるだろうか?」

p.237 (デブリン&ローデン『数学で犯罪を解決する』)
キース・デブリン『数学する本能』、読んでみたいなあ。