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ハロルド・ウィンター『人でなしの経済理論 トレードオフの経済学』

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人でなしの経済理論-トレードオフの経済学

人でなしの経済理論-トレードオフの経済学


トレードオフのことって、もっとしっかり勉強させたいな、と思うなあ。なんでも100点満点が取れる政策なんてなくて、何かを優先すれば、何かを我慢しなければならないとか。そういうのを勉強することで、選挙の時にどんな事考えなきゃいけないのか、とかが身につくんじゃないかな、と。
以下、メモ。

p.115-116「
負の外部性とは、個人の私的な行動が、別の個人にコストをかけるということだ。たとえば、工場の所有者は、利己的に利益を最大化することにしか興味がなくて、空中に放出される公害の帰結には興味がないかもしれない。だから私的な行動は社会的費用をもたらすことがあり、法や規制はそういう費用を抑えるよう設計されていることも多い。でも負の外部性という概念はきわめて広く、どんな外部性が社会規制者として注目すべきかは、とても面白い問題になり得る。」

p.192「
かつてある経済学者が、こんな万能の政策提言を述べるのを聞いたことがある――「解決策などない、あるのはトレードオフだけだ」。これについてのぼくの解釈は、どんな社会問題についてもどんな政策的解決策が提示されたとしても、それが万人に満足いくものであることは絶対にない、ということだ。そこには必ずトレードオフ――費用と便益――があって、そのために「解決策」という概念がよくてもあいまいになってしまう。費用と便益を正確に計測できたとしても、社会的厚生をどう定義するか、政策目標をどこに設定するかという問題は残る。」

p.195「
政策分析はオープンエンドになっているので、政策的な立場が対立するのは避けられないということだ。これは経済学者に限らず、公共政策に関わるあらうる分野について言えることだ。」

p.209-210「
主観的価値と客観的価値または市場価値はちがう(略)あるものの価値とは?ぼくがいま飲んでいるビールは、ジョッキ1杯70円だ。それがカンボジアでのビールの市場価値だ(実は市場で買えばもっと安いが)。でもぼくはこの川を眺めながら飲むビールが500円くらいの価値があると思っている。それがこのビールの主観的価値だ。なぜこの両者に開きがあるのか?それはわからん。市場価値は、市場の需給で決まるけれど、ぼくが感じる価値に何か根拠はあるかといえば、たまたま暑いからとか、仕事がうまく行ったからとか、気分としかいいようのないものも大きく効いてくる。主観的価値は、とにかくそう思うから、という以上のことは何もいえない。人命の価値の議論を見ると、ときにこの二つがごっちゃにされていることも多いように思う。
この二つの差は決してわかりやすいものではない。マルクスはこの両者のちがいが納得できずにあれこれ支離滅裂で無意味な理論を延々とこねてみた。それがあの『資本論』というやつではある。そしてそれが一定の支持を勝ち得てしまったということは、この両者のちがいが他の多くの人にとってなかなか納得しにくいことを如実に示している。」