読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

内田樹『最終講義 生き延びるための六講』

books idea

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)


最終講義を含め、全部で6つの講義が収録されています。非常におもしろかった。師匠にあたる哲学者レヴィナスに会いに行った時のエピソードの、パスを蹴りこんでくる感覚とかすばらしいなあ。

僕に向かって、今脳裏に浮かんだアイディアを次々と単行本一冊分しゃべってくれるわけですから。そのときに、なるほど、こういう人だからこそ、フッサールに対する否定的な評価が出てきたんだなということがわかった。レヴィナス先生の身体は本当に熱かった。話しているうちに室温が二度くらい上がったような感じがしました。あのレヴィナスの一ページにポワン(ピリオド)がひとつもないまま続くような文章を、そのまま口でしゃべるわけですから。こっちはフランス語がろくにできないんですから、途中からはもう何を言っているか全然わからない。でも、日本からやってきたフランス語もよくわからないような若造の前で、レヴィナスはライブ演奏をしてくれてるわけです。ジョン・レノンの家に「ファンです」って挨拶に行ったら、ジョンがやおらギターを取り出して、「じゃあ、今ここでオリジナル曲一曲作って、君にそれを歌ってあげるね」と言われたら、誰だって感動するでしょう。僕の感動はそれに近いものでした。そのときに、なるほどほんものの学者というのは「いいから俺の話を聞いてくれ」という人なんですよ。自分は哲学的な荒野をこれまで駆けめぐって、それなりに必死に道を切り拓いてきた。それは後続する君たちのためにやったことなんだ。だから俺の話を聞いて、それを理解して、俺の仕事を引き継げ、と。こっちにバシバシと「パス」を蹴り込んで来るわけです。こっちに受けとる技量があるかどうかなんて二の次で、とにかくそこに誰かがいたら「パス」を出す。僕はこのレヴィナスの「そこに誰かがいたらとにかくパスを出す」というスタイルがほんとうに素晴らしいと思ったんです。学者というのはこうでなければいけない、と。そのとき深く確信したのです。(p.90-91)

こうありたいなあ、と思います。
あと、教育的なところとしては、合理的に思考して、ストーリーを組み立てる官僚が少ない、という話が紹介されていました。

中国政府内に情報源なんか持ってなくても、公開情報だけでも、中国政府の中で、どんなことが懸念されているかくらいのことはわかります。そして、合理的に思考できる統治者であれば、それを解決するために、どのようなマヌーヴァーを思いつくかくらいのことは推理できる。
それがどうも日本の専門家は苦手であるらしい。特派員や国際部のジャーナリストやインテリジェンスの専門家は僕の何百倍の情報量を得ているんでしょうけれど、その情報を分析する力は、かなり貧弱ですね。断片的なピースから全体のピクチャーを描く能力が低い。
たぶん、学校教育では、そういう訓練を全然しないことと関係があると思います。シャーロック・ホームズとか、オーギュスト・デュパンとか、明智小五郎とか、名探偵のお話は子どものときから読んでいるんですから、現場に落ちているわずかな断片から犯行を推理することが推理だということはご存じなはずなんです。国際関係の専門家も、名探偵にならって、いくつかの断片的な情報から、それらを全部繋げて説明できる「ストーリー」を思いつくということはできていいはずです。
でも、この「推理」ということが日本のエリートはほんとうに苦手なんです。というのは、推理というのは、どれだけデタラメな読み筋を思いつけるかという能力だからです。定型的な思考の枠をどれだけ超えられるか。「ありそうもない話」をいくつ思いつけるか。それが推理力の基本に来るんです。いわば、推理力とはどれだけ標準から逸脱できるかを競うことなんです。これが日本の秀才にはできない。構造的にできない。だって、標準から逸脱しないことによって彼らは今日の地位にたどりついたわけですから。その成功体験に固執する限り、推理ということは彼らにはできないんです。(p.123-124)

推理小説などのエンターテインメントとか、脱出ゲームとかと組み合わせて、こういう「ストーリーを作る」「ありそうもない話をたくさん思いつく」というのを学習目標にしたカリキュラムが作れないかなあ、と思ったり。
あと、北方領土問題と南方領土問題の話とかもおもしろかった。
以下、メモ。