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クリストフ・ニック+ミシェル・エルチャニノフ『死のテレビ実験 人はそこまで服従するのか』

死のテレビ実験---人はそこまで服従するのか

死のテレビ実験---人はそこまで服従するのか


「服従の心理」の実験をテレビでやってみたもの。テレビ番組だから…と自分でそれなりに言い訳(excuse)をつけて、残忍なことをしてしまう、というのはありそうだ。司会者やプロデューサー(その場にはいないけど)の権威から抜け出して、「いやだ」と言うには、別の権威を登場させなければならないらしい。権威に一貫性が欠ければ、そこから自分で選択をできる状態に戻るのだそうだ。これって大事だよね。学校教育が唯一の権威になってしまってはならない理由。いろんなことを言う人に接しなければならない理由はここにあると思う。

「たかがテレビ」――そう思いながら、私たちは暴力的な番組を楽しみ、その暴力に慣れ、暴力を暴力と感じなくなってきている。今回、架空のクイズ番組『危険地帯 ゾーン・エクストレーム』の実験を行うことで、あらためてテレビは一つの権力であることがはっきりした。背景にあるのは、テレビへの無条件の信頼である。テレビは単なる娯楽を提供する道具ではなくなっている。大きな権力をもつシステムとして私たちの上に君臨している。それはまさに信者に対して絶対的な力を持つカルト宗教のようなものである。(p.293)

テレビはたくさんの人に何かを伝えるにはたしかにいいメディアだけど、ひとつの権力としてそれが働く可能性も十分あるし、「慣れ」ってのは本当に怖い。
以下、メモ。

p.180-181「
もう一つ、間接的な影響で、暴力的な番組の恐ろしい点を挙げたい。それは暴力的な番組を見ることによって、「自分たちの暮らす社会は恐ろしいことだらけだ」と不安感をつのらせてしまうことである。この点については、パスカル・マルシャンなど何人もの社会心理学者も指摘している。(略)その結果、私たちは「他人は攻撃的で、潜在的に危険な存在なのだ」と考えてしまう。他人への暴力的には無関心なのに、自分への暴力には極端に怯えるのだ。
その一方で、テレビはそのほかの番組では、私たちを安心させてもくれる。(略)つまり、人を不安にさせるのも、安心させるのも、どちらもテレビというわけだ。(略)これはもはやテレビの「影響」などというものではない。テレビの「支配」である。」

p.148-149
別の権威を登場させる
→<権威>に一貫性が欠ければ、それまで服従していた人もその隙をついて、命令された行為をやめると考えられる。
→<権威>による支配から解放されて、自由に選択できる状態になれば、あとは「人を苦しませたくない」という心の声に従うだけ。

p.184-185「
こうして、被験者たちは、タニア(司会者)の背後に「テレビという巨大なシステム」の力が働いていることを理解していた。システムによる支配の力というのは、それが大きくなればなるほど、その力に抵抗しようとする人間が少なくなる。タニアは「テレビという巨大なシステム」の、いわば先兵にすぎなかった。その背後には、テレビという大きくなれば権力がちらついていた。だからこそ、あんなにも多くの人々が従ったのだ。被験者たちはタニアのうしろに、観客やカメラマン、技術スタッフ、プロデューサー、さらには番組の制作会社の存在を嗅ぎとり、そういったところからの重圧を感じていたことだろう。すなわち、「テレビという巨大なシステム」から
プレッシャーを受けていたのだ。これが司会者やプロデューサーといった個人であれば、まだ抵抗することができる。だが、テレビという怪物にはどうか?これは非常に難しい。相手はあまりに大きく、手強すぎる。
そう考えたら、今回の実験で、大多数の被験者が最後まで電気ショックのレバーを押してしまったのも、無理からぬことだと思われる。」

p.194「
ヴァレリーは苦しみ、抗議の姿勢を見せていた。しかし、そうしながらも最後の460ボルトのレバーまで押しつづけた。初めにも説明したが、抗議をしたことで「良心と服従との葛藤」から来る「緊張」が弱まったため――すなわち、「良心」のガス抜きをすることができたため、服従しやすくなったのであるそして、服従をすれば「葛藤」は消え、次に電気ショックのレバーを押さなければならない時が来るまで、一時的に「緊張」を解消することができる。こうした過程を繰り返すことによって、ヴァレリーは最後までレバーを押しつづけたのだ。」

p.293「
「たかがテレビ」――そう思いながら、私たちは暴力的な番組を楽しみ、その暴力に慣れ、暴力を暴力と感じなくなってきている。今回、架空のクイズ番組『危険地帯 ゾーン・エクストレーム』の実験を行うことで、あらためてテレビは一つの権力であることがはっきりした。背景にあるのは、テレビへの無条件の信頼である。テレビは単なる娯楽を提供する道具ではなくなっている。大きな権力をもつシステムとして私たちの上に君臨している。それはまさに信者に対して絶対的な力を持つカルト宗教のようなものである。」