ちきりん『自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術』

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう


いつも頭に刺激をくれる、Chikirinの日記。「知っている」と「考える」は違うよ、とか。いろんなヒントがありました。たしかに、こういうことって誰も教えてくれない。学校ではとうてい習わない。仕事で、素敵なメンターに出会えると教わったりもしますが、それすらない人も多いなあ、と。
学校向けのカリキュラムにも使えそうだな、ということがたくさんありました。

p.20「
知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。ちきりんは知識の重要性を否定しているわけではありません。知識と思考を異なるものとして認識しましょうと言っているのです。

p.138「
「太枠の中に2種類の人がいる」ことはAさんも否定していません。2人の話はレベルがそろっていないのです。俗に言う「かみ合ってない」議論ですね。

p.192-193「
まずは考え、あとから「知識として、他の人や専門家が考えたことを調べる」という方法の方が、考えるための訓練としては適しています。自分で考えたあとでそれらを読めば、「誰かが考えたこと」と「自分の思考」が意識的に対比できるからです。
また、専門家の分析と自分の考えたことが異なっていても「自分の考えは間違っていた。考えるのは無駄だった」などと思う必要はありません。ひとつの事実から複数の人が複数のことを考えることこそ、重要なのです。誰が考えても同じ考えしか出てこないなら、もっとも優秀な人が1人だけ考えればいいということになってしまいます。
そうではなく、各自がそれぞれに考え、出てきた自分の考えをみんなで共有し、「なぜ自分は(そして他の人は)そう考えたのか?」という思考の結果と、それに至る思考の道筋を共有することに意義があるのです。

p.209-210
階段グラフにより、一定時間内に考えられることの量が大幅に増やせる=思考を促進する図

p.214「
たとえばある人が言葉で「仕事は人生においてとても大事だ」と言ったとします。もっともな言葉ですから、言っている方も聞いている方もそれだけでわかった気になってしまいます。
しかしこの発言者は、「じゃあ、あなたの言っていることは、図Aと図Bのどっちなの?」と聞かれたら、その問いにすぐに答えられるでしょうか?

p.229-230「
図75では、左欄が「情報」であり「知識」です。これらは外部から得られるものです。一方で右欄に書いてあるのは「思考の結果」です。これらは外部から得た情報をもとに、自分の頭で考えて、出てきたものです。「どんな情報が手に入る可能性があるか」(左欄)と「その情報が手に入れば、なにが言えるのか」(右欄)ということを、あらかじめ考えておくというのは、「情報が手に入る前から、想定に基づいて思考しておくこと」を意味します。
そしてこの作業を事前に終えておくと、イザ情報が手に入った時に間髪をいれず、それにたいする自分の意見を述べられるようになるわけです。

p.231「
事前に「この情報が手に入ればなにがわかるか、なにが言えるようになるか」を想定しておくと、「その情報を手に入れる価値」も判定できます。

p.238「
人は、「一度じっくり考えたこと」は知識よりも圧倒的に長く記憶に残せます。思考は知識より忘れ難いのです。だから「思考の枠組み」の中に知識を格納しておけば、長く忘れずにすむのです。

p.239「
まとめ〜「考える」って結局どうするの?
・いったん「知識」を分離すること!
・「意思決定のプロセス」を決めること!
・「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと!
・あらゆる可能性を探ること!
・縦と横に並べて比較してみること!
・判断基準の取捨選択をすること!
・レベルをごっちゃにしないこと!
・自分独自の「フィルター」を見つけること!
・データはトコトン追いかけること!
・視覚化で思考を深化させること!
・知識は「思考の棚」に整理すること!