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勝谷誠彦・ラサール石井『1.5流が日本を救う』

1.5流が日本を救う

1.5流が日本を救う


勝谷さんは灘、ラサールさんはラ・サールの卒業なわけで、その2人が学生時代の思い出を交えつつ、教育論などなどに話題が広がっていく。とてもおもしろかったです。こういう学校生活っていいなあ、と思います。で、こういう文化が「ああ、あそこは良い子たちばっかりだから」みたいな変な言い訳が通じない感じに、多くの学校に広がっていけばいいのに、と思います。
おもしろいところたくさん、メモ。

p.35-36
ラサール石井の必ず成功する受験術」:
石井 僕の考え方は国語も英語も数学も、全部一緒だってことなんですよね。
勝谷 つまり、教科は有機的に関連していると。
石井 そのとおり。まず国語で自動詞、他動詞の項目の後に、すぐ英語の自動詞、他動詞の項目を持ってくるわけ。あるいは、国語で論理構成の方法を習うでしょう。演繹とか帰納とか。そうしたら、すかさず数学の帰納法、演繹法の解説に繋げるわけ。つまり“学ぶ方法を学ぶ”参考書にしたいわけね。“学び方”を身に付ければ絶対受験に役立つし、受験以外にもものすごく役に立つと思うんですよね。
勝谷 でも、実際の教育現場には、各教科を有機的に結びつけて教えるなんて発想はないですよね。
石井 そうなんです。英語の教え方もおかしいと思うのね。中学で最初に教わるのが、なぜか第2文型のSVCで、例文がThis is a pen.=「これはペンです」でしょう。でもこの例文だと、子供はisイコール「です」って覚えちゃうんですよ。でも日本語における「です」は助動詞ですからね。そうするとisは動詞だっていう認識が生まれてこないし、動詞がなんだかもよく理解できない。これ、Be動詞が不完全自動詞だからわかりくいんですね。だからrunみたいに動作を表す完全自動詞を使って、I run.=「私は走る」っていう例文にしてあげれば、「そうか、動くから自動視なんだ」って、動詞のニュアンスがきっちり子供に伝わるはずなんですよ。ところが現実には、This is a pen.を覚えたとたん、次はI have a pen.を習うわけ。なんで”pen繋がり”にしなきゃいけないのか、全然わからない(笑)。

p.46
ラサールの体育祭
石井 面白いのが体育祭で、紅白にわかれて戦うんだけど、これが出身地対抗なわけ。紅は必ず鹿児島・宮崎出身者で、白がそれ以外の地域。だいたいその年の高3の名物男が応援団長になって、昔ながらの長袴に高下駄はいて、挑戦状と応戦状の読み合いをやるんですけど、お国言葉で読むもんだから、紅軍のはいつも鹿児島弁で「じゃっどん、おはんがひったまがった」とか、何言ってるのか全然わかんない。白軍はその年によって博多弁だったり、大牟田弁だったり、大阪弁だったりするんですけど、これもおかしいんです。ラ・サール全体の言葉の主流は福岡のノリかな。寮の言葉も、博多弁をベースにしたラ・サール弁って感じです。

p.72-73
勝谷 いちばん悲しかったのは、数学の確率の試験のときですわ。試験中って一問もわからんとやることないんで暇なんですけど、確率の問題だけは労働集約的な作業で解ける場合があるんですよ。それで、意地になって千何百通りとか、テスト用紙の裏に全部書いて解いたことがあったんです。
石井 僕もやった(笑)
勝谷 そうしたら、3点ついて返ってきた。先生もマッドな人が多いから、テスト用紙の裏の作業を全部チェックしてて、「勝谷、おしいがな、547番目でまちごうとるわ」って(笑)。それでも僕の努力を評価してくれて、3点とかくれるんです。僕、卒業試験のときの物理が7点だったんですけれど、「私と物理学」っていう題で作文を書いて卒業させてもらいました。

p.113-114
石井 僕が思う教養っていうのは、「うー、僕はどうやって生きたらいいんだ」って、頭抱えながら本を読むことじゃなくて、本を読むことで感性が高まるとか、情緒が豊かになるとか、そういうイメージなんですよ。
勝谷 灘の怖いところは、日常のテンションがむちゃくちゃ高いから、カラッポでいると押し潰されちゃうんですよ。カラッポだとみんなの話についていけないから、生存できないんです。共通となる教養のレベルがものすごく高いわけですけれど、むろん中には、会話の基礎となる知識や共通理解みたいな部分がスコーンと抜け落ちてるとんでもないヤツもいるんです。でも、それ以前の、ものを知ろうとする姿勢、インプットしようとする姿勢というのは、みんなに共通していたと思いますね。それがある限り、みんな同じ土俵の上にいるんです。でも、その姿勢を持ってない人は、文字どおり落ちこぼれるしかなかったと思いますよ。
石井 だから、ラ・サールでも、成績のいい悪いははっきり目に見えるわけだけど、それによって差別されることはまったくなかったし、友だちグループも成績でわかれるようなことはまったくなかったですね。
勝谷 そういうことは、灘にもまったくありませんでしたね。つまり、あるのはお受験技術の差だけであって、教養の差ではないんですよ。なんだか言い訳みたいだけど(笑)。

p.121
石井 入江先生には、「人間かくありたし」という道と、「人間かくあるべし」という道があったら、「かくあるべし」の方を進めって言われたからね。
※入江先生:入江伸のこと。元・高校教諭〜進学塾の伸学社を開塾。入試テクニック偏重の風潮に心痛し、自ら閉鎖。