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伊藤氏貴『奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち


伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀。いや、本当におもしろかった。中高一貫の灘校で、中学校3年間で『銀の匙』という薄い文庫本1冊を教材として、そこから脱線し、寄り道し、主体的に読んでもらいながら知的好奇心のスイッチを押していく授業を実践されていた先生の記録です。恥ずかしながら、橋本先生のことは知らなかったのですが、本当に刺激的でした。
今、神奈川県知事選挙に立候補している黒岩さんも、この橋本先生の教え子さんです。文中にも登場します。1つの作品から、自由に発散していく学びの方法は、とってもWeb的だな、と思う。でも、自動の反応がわからないからこそ、授業準備はものすごく大変なはず。本当に頭が下がります。齋藤孝さんが言っている、一点豪華主義にも通じる、すべてが『銀の匙』から始まる授業。とっても参考になりました。
以下、メモ。

p.22「
昭和9年、旧制灘中学校に赴任した当初から、寄せ集めの教科書では生徒には残らないと考えていたという。
「押しつけじゃなくて、生徒が自分から興味を起こして入り込んでいくためには、“主人公になりきって読んでいくこと”がまず必要だと思っていました。そのうえで、物語や出てくる言葉から派生することもひっくるめて、生徒に本当の国語の力を、じっくりつけられる教材はないだろうかって、ずうっと考えてましたね」

「子ども自信が主人公になったような気持ちで読んでいけるのは、これしかない。この文庫本を3年間かけてやってみよう。結果が出なかったら責任はとる。それだけは心に決めて始めました。」
『銀の匙』授業への決断は、やはり「覚悟」だった。

p.23「
薄い文庫本に3年を費やす。
生徒の興味で脱線していく授業、「わからないことは全くない」領域まで、1冊を徹底的に味わい尽くす、崇高な「遅読」「味読」(スロウ・リーディング)---。

p.38
『大物一点豪華主義』齋藤孝
・『銀の匙』に中学校3年間をかける、というのは似ている。
・本物=質の高いものを徹底的に吸収することが、その後のすべての基礎をつくることになる。
・研究するなら一流のものにとりついたほうがいい。

p.53
エチ先生の子ども時代:

教科書は閉じたままの、横道にそれる授業。なりきって、夢中になって、追体験する楽しさ----。
講談本の授業に魅せられた9歳の少年は、初めて母親に物をねだった。
「本を、買ってほしい」
母は二つ返事で応えた。
東海道中膝栗毛』『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』…。分厚い原本を、むさぼるように次々と読破していく。
息子の読書熱に協力したのは、読書好きの母だけではなかった。
「父親が自分のために本棚をつくってくれたんですよ。嬉しかったですねえ…。その棚に本が一冊一冊たまっていくのが、また嬉しい」

p.91-93「
そう語る黒岩自身が最も引き込まれたのは、プリント内の[表題]という項目だ。
『銀の匙』は新聞連載された作品なので、各章が短く、2ページほどで構成されている。そのため章ごとの表題がなく、単に数字が記されているだけだった。
橋本はそこに目をつけた。
各章を読み終えたあとに、自分で表題をつけるのだ。
黒岩はこの作業が忘れられないという。
「とにかくこれが楽しいんですよ。他人の書いた文章、それも名著に自分でかってにタイトルをつけていくわけですからね。まるで自ら本の制作にかかわっていくような、編集者の気分でやっていました。表題を自分がつけることで、『銀の匙』は”名著"ではなく、親しみあふれる自分なりの“作品”に変わっていくようでね。今見返すと、私のノートには“愛するって耐えることなの”とか“恋の大決闘”とか、恥ずかしくなるような表題がついていますが(笑い)」

「各人がつけた[自分で決めた題]をプリントに書き込んだ後、それを各自が発表したり、議論したりして、最終的に一つの表題にこぎ着けるんです。で、その下の[学校で決めた題]というスペースに、統一表題を書き込むわけです。“個性”も大事にしながら、ディスカッションして最終的に“みんなの結論”を出すんですよ」

こうして『銀の匙』は、ゆっくりゆっくり、読み進められていった。
幼い主人公の喜びや驚きやわがままや嫉妬を追体験しながら、一言一句の響きや奥行きまでもを噛みしめながら。話の筋からどんどん横道にそれながら。自分の個性を掘り起こしながら。クラスメイトの感性を認めながら----。

p.189 海渡雄一さん(教え子)による「エチ先生から学んだこと」
「僕の場合、まず『魚偏』ですね。『銀の匙』の中に、お寿司屋のシーンが出てくるんだけど、そこで橋本先生が『魚偏の感じは全部で678あります。集めてみましょう』という課題を与えたんですね。それを聞くと、ほーっと思うじゃないですか。で、図書館に行って調べたり、すし屋さんで包み紙もらったりしてね、魚偏のノートを作って、それに記入していくわけですよ。親にねだって、もっと大きな漢和辞典を買ってもらったりしてね。
(略)
その他にも、『駄』のつく文句を集めてみようとかね。駄文、駄馬、駄弁、駄洒落…。」

参考文献
・『恩師の条件--あなたは「恩師」と呼ばれる自信がありますか?』黒岩祐治
・『五十年ひと昔 灘と歩んだ半世紀』橋本武
・『世界から見た灘高型受験教育』一本松幹雄
・『灘校 なぜ「日本一」であり続けるのか』橘木俊詔
・『学ぶに値すること----複雑な問いで授業を作る----』小田勝己