加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ


ものすごく刺激的でおもしろかった。歴史、おもしろいじゃん!素材としては栄光学園の中学生〜高校生向けに冬休み5日間でやった講義*1のまとめ、だそうだ。で、日清戦争日露戦争第一次世界大戦日中戦争・第二次世界大戦と追っかけていく。
僕は平均よりは歴史小説とか歴史物を読んでいる方だと思っていたけど、甘かった。特に昭和になってから。若槻礼次郎とか、松岡洋右とか、胡適とか、すげーな…。
こういうふうに歴史を学べば、もっと今に応用できるしっかりした知恵になるだろうにな。やっぱりもっと現代史をやるべきだよ、日本の社会科教育。前史からやってたら最後まで終わらないじゃん。近代からやって、現代史までちゃんと終わってから遡る方法はだめなのかね?
これ、タイトルから見て全然違う本を想像していたよ…。全然固くなく、読みやすい。受験時代に読んだ「日本史講義の実況中継」みたいだ。
以下、メモ。

p.22「
いずれにしても、日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていたことに気づいていただければよいのです。ある意味、2001年時点のアメリカと、1937年時点の日本とが、同じ感覚で目の前の戦争を見ている。相手が悪いことをしたのだから武力行使をするのは当然で、しかもその武力行使を、あたかも警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていたことがわかるでしょう。
時代も背景も異なる二つの戦争をくらべることで、30年代の日本、現代のアメリカという、一見、全く異なるはずの国家に共通する底の部分が見えてくる。歴史の面白さの真髄は、このような比較と相対化にあるといえます。


p.35
膨大な戦死者が出たとき、国家は新たな“憲法”を必要とする。


p.41-42
ルソーの述べた真理:
「戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる」

・戦争は、ある国の常備兵が三割くらい殺傷された時点で都合よく終るものではない。相手国の王様が降参して終わるものでもない。
・戦争の最終的な目的は、相手国の土地を奪ったり、相手国の兵隊を自らの軍隊に編入したり、というれべるのものではない。
・相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序に変容を迫るものこそが戦争だ。
(ルソー「戦争および戦争状態論」 via 長谷部恭男『憲法とは何か』)


p.324
胡適の「日本切腹 中国介錯論」(1935年):
中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大洞院しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接に衝突しなければいけない。我々はこのような困難な状況におかれても、一切顧みないで苦戦を堅持していれば、二、三年以内に次の結果は期待できるだろう。[中略]満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における居留民と利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる、太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。
世界化する戦争と中国の「国際的解決」戦略」

以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」というこの八文字にまとめられよう。

*1:っていうか、栄光学園の生徒の優秀さが質問の中から垣間見れます…さすが。