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茂木健一郎『思考の補助線』

思考の補助線 (ちくま新書)

思考の補助線 (ちくま新書)


「思考の補助線」というタイトルから、何か問題解決法みたいなテーマかなと思ったら違った。でも教育や教養、学問に関してのおもしろい切り口からの語りがおもしろかった。いくつか、メモ。

p.80
脳は他人にほめられるように変化する
脳の「学習」は2種類ある。

  1. 正解が決まっていて、もし間違えば「教師」がそれを教えてくれる「教師あり」学習
  2. 正解がない、あるいは正解があったとしてもそれが何なのかを教えてくれる「教師」がいない「教師なし」学習



「教師なし」学習のうち、重要なのは、ドーパミンをはじめとする脳内報酬物質のダイナミクスにもとづく「強化学習」である。(略)最終的に学習の方向性を決めるのは、あくまでも脳内報酬物質である。何をうれしいと感じるか、脳内の報酬の文化が、強化学習の方向性を決めるのである。


p.82-83

少年モーツァルトが、どのような「報酬構造」の中にいてあのような個性を輝かせたか、いうまでもないだろう。当時のウィーンの宮廷が、他人と似たような振る舞い、全体の調和を何よりも優先するというような報酬構造を持った場所であったら、天才モーツァルトができあがることもなかった。脳の働きから複雑な社会の動きを断ずるのは、乱暴なようだが、そうすることで見えてくる真実もある。現代の日本の場合、「お互いに人と違ったことをやったらほめ合おう」というくらい割り切った行動規範にしてはじめて、社会が変わるくらいのダイナミクスに結実するのではないか。


p.95
金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」:

私が両手を広げても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


p.199-200

一見ある特定の側面が突出したように見える才能の開花も、実は総合的な知性に支えられている。


湯川秀樹は、学者の家系に生まれ、幼い頃から『論語』や『史記』といった漢籍を素読させられた。
朝永振一郎は、文筆家としてもすぐれた業績を残し、さまざまな世事に通じていたことはいうまでもない。


漢籍の素養と、数学的な才能の間には、直接の関係がないようにも思われる。しかし、既存の体系をただ知識として受け入れるのではなく、今まで誰も考えつかなかったような新しい発想に至り、その形式をととのえるという知性の働きには、一見関係のない分野における卓越が意味をなさないはずがない。