長澤直臣・鈴木隆祐『名門復活 日比谷高校 奇跡の学校改革はなぜ成功したのか』

名門復活日比谷高校―奇跡の学校改革はなぜ成功したのか (学研新書)

名門復活日比谷高校―奇跡の学校改革はなぜ成功したのか (学研新書)


僕は神奈川育ちなので、日比谷高校*1がどんだけすごい(すごかった)かは、教育業界に入ってから知った。大学に入っても、都立高校出身者って身近にいなかったし、もしいても学区の事情とかまでは話さないし。
教育業界に身を置く今としては、公立学校にはぜひがんばってもらいたいと思っている。で、その先頭グループを走っている日比谷高校の情報を勉強しておきたいな、と思って読んだ。神奈川県でも公立高校の改革が進んでいて、うちの母校もどういう方向に行くのかと気にしていたので、そのベンチマークとしても知りたくて。同じように独自入試を始めたしね。日比谷高校のサイトでは、独自入試問題も公開されている。時間ができたら取り組んでみたいところ。
熱意あるリーダー=校長先生の取り組みがレポートされていくのだけど、いいなと思ったのは、2007年東大現役合格組の言葉にあった、

一所懸命をバカにしない環境。真面目な者が浮いたり沈んだりしないのが楽(p.187)

というもの。この「一所懸命をバカにしない環境」っていうのが、学校の文化なのだよね。で、これを作ることこそが先生方にとっては大切。ひとたび文化ができれば、その文化に憧れた生徒たちが受験してきてくれる。結果、文化の色が強くなっていく。
いろんな学校を見てきて、この「一所懸命やっている人が浮いちゃう」状況っていうのが、いちばんもったいない、と思うから。
んー、日比谷高校、いいな。好きになった。いつか、一緒に何かお仕事できたらいいな。
以下、メモ。

p.56

しかし、庄司(薫)がここでいう「可能性の天才」がいなければ学校ではない、と私などは思う。日比谷のような進学校には「文武両道」ばかりではなく、「文遊」というか異能、曲者…なんでもいいが、そういう両立も求められる気がするのだ。


p.62

内田(樹)はブログ上でも当時を回想。日比谷にも小石川にも、灘や麻布や神戸女学院にもそれぞれの校風があり、「それを一度でも吸った人間は、その残存臭気を消すことができない」と書き記す。


p.124

よく塾や予備校関係者らは「入試問題は学校の顔」という言葉を用いる。私学においては、そこで学校の求める人材を表しているのだ。例えば中学の例にはなるが、麻布中の社会では例年、一つの長文問題を出す。そこから長いスパンでの歴史や地理の知識を問うのはむろん、様々な今日的な課題を投げかけていくスタイルが一貫しており、大人でも非常に解き応えのある内容だ。そして、注目すべきはその問題解決に当たる覚悟すら受験者に促していること。仮に稚拙であっても、あまりうまくいってはいない現況への対案を求める、この姿勢が麻布の「らしさ」を物語る。


p.129
独自入試問題について:

仮によい成績を挙げられなくても、作り手の思いのこもった、よくできたテスト用紙は簡単に捨てられないものだ。その積み重ねを振り返れば、受験という、より大きな試練に向けての動機づけになる。


p.154

入試問題を自分たちで作ることで教員が一枚岩になれる。そして、それが知的にタフな生徒を呼び込むことにつながり、進学面でも結果を出す好循環を生む…というのは一般論だが、長澤と日比谷高の教員たちはその狙いを巧みかつ迅速に問題に具現させてきた。この営みが、私立最難関校から多少なりとも日比谷に第一志望の受験生が流れつつある、起爆剤となったのだ。


p.184

授業以上に、いろんな学校を取材していて思うが、本当の名門校は放課後の空気感が違う。部活もそうだが、自学自習の定着ぶりを見たくて、私は居残りをよくする。その点、日比谷の自習スペースの活気は本物だ。


p.186
テスト前は他人のノートをコピー:
「別に自分がノートを取ってないわけじゃないんですよ。友だちや他のクラスの子でも、どんなノートを取っているか、比較することで参考になるんです」


p.187
2007年東大現役合格組の一致した見解:
1.一学年上から学区制撤廃で、勉強させるカリキュラムが整った
2.塾・予備校利用者は少数派だが、苦手科目克服か勉強癖をつけるために通う者が多い
3.周りも東大クラスを狙う生徒が多く、情報が集まりやすい
4.一所懸命をバカにしない環境。真面目な者が浮いたり沈んだりしないのが楽
5.先生をフル活用できる。聞けば聞くだけ応えてくれる

*1:日比谷高校って、日比谷にないのね。永田町なのね。もともと、日比谷にあったことを名前にとどめたんだって。まぎらわしい・笑