波多野誼余夫・稲垣佳世子『知力と学力 学校で何を学ぶか』

知力と学力―学校で何を学ぶか (1984年) (岩波新書)

知力と学力―学校で何を学ぶか (1984年) (岩波新書)


認知学習論などを勉強していくと、ほぼ必ず当たるであろう波多野&稲垣先生コンビの本です。正統的周辺参加なども触れられていて、入門としては非常によかった。
子どものいろいろなことを学ぶ速さについては、息子の認知能力の発達を目の当たりにしていて「おお!」と思ってはいるのですが、それらについての記述もあり。

実際、子どもたちが事実を学ぶ早さは、目をみはらせるものがある。言語発達の研究者の説くところによると、18ヶ月から6歳までの間の子どもたちは一日に新しく9語を覚えるといわれる。こうした語彙の拡張は、それ自体「これは○○とよぶ」といった事実の学習だし、さらにそれと結びついたさまざまな事実的知識の学習をも含んでいる、と考えられるだろう。(p.31-32)

1日に9語?年間で…8500語以上?うっそー、それは言い過ぎだろう。この数え方はちょっと違うような。
以下、計数(数を数えること)ができるための5つの原理や、正統的周辺参加の例など、もろもろをメモ。

p.iv

成長していく個々の子どもへのあたたかい思いやりや共感なしには、子どもたちにとって居心地のよい場としての学校が復活する可能性はないだろう。獲得された知的有能さも、結局のところ、よりよく「共に生きる」ことを可能にするために用いられなければならない。しかし、これは学校にだけあてはまるというものではない。日常生活のなかでもひとしく欠かすことのできない原則なのである。それを当然のこととしながら、なお特殊な場所としての学校が何をなしうるかを考えたい、というのが筆者らの関心であった。


p.4
計数(数を数えること)を適切に行うための5つの原理:

  1. 集合中の各要素にはただ1つのラベル(符号)しか割り当てられない、一対一の原理
  2. 計数の際に用いられるラベルはいつも同じ順序で配列されていなければならない、安定した順序の原理
  3. 数えあげていったときに最後に用いられたラベルがその集合の大きさをあらわす、基数の原理
  4. 計数の手続きはどんな集合にも適用できる、抽象性の原理
  5. 集合中のどの要素から数えてもよい、順序無関連の原理


p.29-30
日常生活での「学習」は大きく二種のものが区別できる:

  1. 遊びや趣味の領域で見られる、それをするのが楽しいから、それを知るのはおもしろいから、という理由で、ある活動が繰り返される場合。このような活動を通じて、より進んだ知識を身につけていく。
  2. 生活上の必要から、ある活動が繰り返される場合。この場合は、何を学ぶか、なぜ学ぶかの目的がその人にとって明らかである。


p.31-32

実際、子どもたちが事実を学ぶ早さは、目をみはらせるものがある。言語発達の研究者の説くところによると、18ヶ月から6歳までの間の子どもたちは一日に新しく9語を覚えるといわれる。こうした語彙の拡張は、それ自体「これは○○とよぶ」といった事実の学習だし、さらにそれと結びついたさまざまな事実的知識の学習をも含んでいる、と考えられるだろう。


しかし、日常生活だけでは事実の学習には不足だ:

  1. 日常生活では学びにくいような知識があとになって必要とされる可能性がある
  2. 日常生活の中で、誤った知識を学んでしまう可能性がある


p.40
文化人類学者レイブによる観察:
弟子入りしたばかりの見習いの者が最初に教えられるのは、決して型紙作りや布地の裁断といった仕立ての基礎的部分ではなく、ボタンつけであるという。簡単ですぐにやりなおしがきき、しかも製品ができあがる過程に直接参加できる作業だからだという。


p.42
母親による織物技術の教え方(グリーンフィールド、メキシコのチアパス高原の民族)

  • 母親が手助けをすることは織物熟達レベルが上の子どもに対してほど少ない
  • 技術が熟達していないはじめの頃は、母親の言葉は「〜〜しなさい」といった命令的な指示が9割以上だが、熟達するにつれ、そうした発言は減る。
  • 代わりに、今やっているステップの特徴が何か、指摘するような発言が多くなっていく。


p.78

日本では、綴り方教育の長い伝統があるが、その伝統の最も重要な遺産は、こうした、書くことを通して自分の生活を振り返り、その中での生き方を追求する、という道を確立したことだろう。つまり、読むことが世界を知る方法であるとすれば、書くことは、それをいかに変えていくかを考える道具だ、と言ってよいのではなかろうか。