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中島義道『たまたま地上にぼくは生まれた』

たまたま地上にぼくは生まれた

たまたま地上にぼくは生まれた


「闘う哲学者」という感じがする、中島義道先生。この本では、あちこちで書いたことや、講演したこと、対談したことがまとめられています。特に、「国際化は欧米化ってことじゃない。そういう意味で捉え直すと、欧米がいちばん国際化していない」というテーマは興味深いです。欧米化=国際化の流れに日本は乗っかってしまっているわけですけどね。
以下、メモ。

p.64

先進国というのはいつまでたってもある自負心がありまして、発展途上国がどんなに数字的に追いついても、なかなかすなおに認めたがらない。
今、数字の上では、ほとんど日本はヨーロッパよりも優れているわけですね。GNPとか、平均寿命とか、数値をとりますと、日本のほうが上になってしまうわけです。しかし、ヨーロッパ人はそれによって、全然ショックを受けないんであって、受けているかもしれませんが、表面的には平静にヨーロッパのほうがもっと人間的であるとか、いろんな意味において文化的であるといった「形而上学的自負心」を持ちつづけるわけです。
そこで、われわれがヨーロッパ人の持っているそうした固定観念を突き崩すことが国際化の第一歩だと思うのです。(略)つまり、国際化というのは、欧米化ではないんです。もし、そういうふうに定義するとしたら、明らかに誤りですね。国際化とは、ヨーロッパやアメリカに追随することではないんです。それは世界のさまざまな国の間で、相手の文化を認め理念的には相互に平等な立場を貫くことなんです。
そうしますと、ヨーロッパが一番国際化されていないですね。


p.228-229

ヨーロッパ人の考えている大人と、日本人の考えている大人はちょうど逆の方向になっていると思います。(略)自分の考え、判断を貫き、その結果に責任を持つ人、これはヨーロッパ的な大人観ですね。ところが日本の場合には、ストレートに自分の感情をぶつけるのは、子供っぽいのであって、思ったとおりを語ってその結果に責任を持つのも青っぽいと言われてしまいます。大人というのは、そんなことしなくて、さまざまな要因を考慮に入れて、周りの人々のことを考えながら慎重に動いていくんです。こうした行動を賛美する根は非常に深いんですね。
つまり、欧米的な意味における誠実さというのは、自分の考えているとおりの言葉を発することですが、日本では、それは誠実でも何でもなくて、単なる野蛮なんですね。さまざまなことを考えて、語るべきときに、語るべき言葉を選んで、語るべきように語る態度、これが日本においては誠実なんです。ですから、大人観が逆になっているんです。


p.276

私はたしかにいろいろな人からいろいろな悪口を言われる。しかし、私がとらえている自己像より悪いのはないんです。私が考えている自分はもっと悪いですから、他人は何でもっと私のことを悪く言わないのだろうか、という疑問のほうが強いわけです。普通、われわれは他人に対しては悪口を言ったり、あるいは自分に対する理不尽な評価を責めたりしますけれども、自分は他人にずいぶんひどいことをしていると思います。しかし、私は自分自身を毎日徹底的にグサグサ分析し尽くします。自分のずるさとか、怠け心とか、軽蔑心とか、嫉妬心とか、ありとあらゆるマイナス面を、掘り起こして直視するということをずっとやっていきますと、知らないうちに、一種の癒しのような効果があるんです。