北康利『白洲次郎 占領を背負った男』

白洲次郎 占領を背負った男

白洲次郎 占領を背負った男


ばっつぐんにかっこいいです、白洲次郎。これは惚れる。1976年の以下の談話…

今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。それだけで警視総監にはなりたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしている奴が多い

この時点から30年。日本はまだこのまんまな感じです。白洲次郎も、吉田茂も、官僚の人たちだって、ものすごい思いして、この国を作ってきたんだって感じ。もちろん、今だって官僚の人たちはそういうふうに誇りを持って働いている人もたくさんいるだろうと思う。それを束ねる、リーダーがほしいよね。今の首相をリーダーだとは、思えないよなぁ。
以下、メモ。とても書ききれないので、ぜひ読むべし。少年時代の金持ちっぷりは、ちょっとどうかと思うけど(笑)ああいうところからしか、エリートはでないのかね、とも思った。

p.191

終戦後、6、7年間小学校の子供にまで軍備を持つことは罪悪だと教え込んだ今日、無防備でいることは自殺行為だなんていったって誰も納得しない。これは占領中の政策にも責任が無いとはいえない。人間の癖でも6、7年かかってついた癖は、そう1年や2年でぬけるものではない。殊更、否応言わさず強制的につけた癖に於てをやである(白洲次郎『雑感-東北一廻り』「新潮」1952年9月号)


p.192

次郎は憲法について、現行憲法全体が詳細にわたりすぎているのは米国が法律を大量生産する国だったからであり、“もっと根本を示すもので充分”だと語っている。
ただあれほどの思いをした彼が一方で以下のように語り、押し付けられたからすべてを否定するというのではなく、「いいものはいいと素直に受け入れるべきだ」と冷静な意見を述べていることは注目に値する。
<新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが生時の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律化が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか>(『プリンシプルのない日本』「諸君」1969年9月号)


p.374
戦後の日本社会はけっして次郎の期待した方向に進んだわけではない。
次郎は「週刊朝日」(1976年11月18日号)のインタビューの中で日本の現状を憂えて次のように語っている。
「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。それだけで警視総監にはなりたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしている奴が多い」
しばしば教育にも言及した。中野好夫(英文学者)との対談で次のように語っている。
「日本人は大体話がつまらんですよ。これは中野さんなんか大いに責任がある。教育が悪いんですな。あなたが大学で教授して講義をする、それを生徒が筆記して丸暗記で試験へ行く、そしてそのとおり書くと100点、そんなバカなこと世の中にあるものですか」
「自分で考えるということを教えない。日本ぐらい自分でものを考える奴が少ない国はありませんよ」
「やはりこれはもっと本質的にいうと、教師が自分で考えることをしない。明治維新前まで、さむらいの子供にいちばんやかましくいった教育、つまり物事の原則を考えるということを教えない」(「サンデー毎日」1953年8月2日号)


p.383
<プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことは無い。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう>
というその言葉どおりに彼は生きた。人生の最後の瞬間まで格好良かった。


p.386
次郎は生前よく岡田(トヨタ自動車ソアラ開発担当)に、
「“No Substitute”(かけがえのない)車を目指せ」
という言葉で目指すべき車のあり様を示したという。