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佐伯啓思『学問の力』

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学問の力  NTT出版ライブラリーレゾナント023

学問の力 NTT出版ライブラリーレゾナント023


大好きな学者さん、佐伯啓思先生による、学問論。「知」や「保守」などについて考察をしています。最もおもしろかったのは、「頭がよい」には2つある、という部分。曰く、

記憶力があったり、理解が早い人は、「脳の運動神経がいい」というだけのこと。
もうひとつの頭がよい人は、鈍重であっても潜在的なところでいつも何かを考えている力がある人のこと。自分が意識しないうちに臓器が勝手に何かを考えている=時間をかけて独創的なことを生み出す力。

僕、典型的にこれにはまっていた気がする。中学校くらいまで、一部の「脳の運動神経」がたまたま良くて、それを勝手に周りがいいように解釈してくれてた、っていうか。高校に進学して、さらに大学に進学して、2つ目の本当に臓器が勝手に考えているような人たちにたくさん出会えて、この違いを理解したよ…。どちらも大事だけど、どっちかだけでしか評価しないのは違うし、どちらかを勘違いしてしまうのも違うよなぁ。
あと、ヨーロッパとアメリカの「保守」についての違い論もおもしろかったです。

欧米における「保守」の違い(p.169)

  • ヨーロッパでは、それぞれの国の文化や、歴史的に生成してきた社会構造をそれなりに尊重する考え方
  • アメリカでは、アメリカ建国をもたらした強固な自由と自立とフロンティア精神(つまり実験的精神)をもった「自由な個人」を尊重すること。

そうか、アメリカの保守は、ある意味ヨーロッパの保守をぶち壊すこと、なのだな、と。以下、もろもろメモ。

p.52
今日の学問世界:
・一方で専門家や科学者など、実証主義を信奉している「学者」や「研究者」がいる
・他方でポストモダン的な「知の芸人」のような人たちがいる

私自身は、大事だと思われる何かが失われつつあるのではないか、と感じる


p.72-73
サルトルアンガージュマン(参加)」:

われわれは日常生活においていろいろなしがらみのなか--親や友達や先生がいたり、仕事をもっていたり--に生きているんですが、しがらみに縛られていては何もできない。だからそれを全部捨てて、あたかもそうしたしがらみから自由になったかのように、自分でゼロから決断していく生き方を選択したらいったい何ができるのか、そこで自分本来の生き方を選び取ろう、というメッセージとして受け取られたのです。
言い換えれば、この世界の正義は何か、はわかっている。政治的に正しい行為もわかっている。しかし、みんな、家族にとらわれていたり、職場にとらわれていたり、古い因習や倫理に縛られていたり、こうした社会のしがらみにとらわれているために正しい行動ができない、というわけです。ベトナム戦争が間違っていることはわかりきったことだ。戦争反対を唱え、平和のために働きかけることは無条件に正しい。それができないのは、みな、生活にとらわれたり、家族がいたりするからだ。
しかし、自由とは、こうした縛りをすべてカッコにくくってしまい、因習や社会の規律さえ一度はすべて無視してしまうところから始まる。サルトルのいう「アンガージュマン」は、こうした観念を前提にして、実存主義的に決断すれば、自分の個人的立場を離れた、正しい政治的な関与になるだろうし、正しい方向を社会に与えることができれば、そのこと自体が自分自身の充実した生き方になるだろう、という。


p.124
「わかる」と「知る」の違い:
「わかる」→何か思考のプロセスを自分でもう一度追体験することで、自分なりに再構成すること。
「知る」→文字情報を使って何かを頭のなかにインプットすること。


p.129-130
「頭がよい」には2つある:
記憶力があったり、理解が早い人は、「脳の運動神経がいい」というだけのこと。
もうひとつの頭がよい人は、鈍重であっても潜在的なところでいつも何かを考えている力がある人のこと。自分が意識しないうちに臓器が勝手に何かを考えている=時間をかけて独創的なことを生み出す力。


p.169
欧米における「保守」の違い
・ヨーロッパでは、それぞれの国の文化や、歴史的に生成してきた社会構造をそれなりに尊重する考え方
・アメリカでは、アメリカ建国をもたらした強固な自由と自立とフロンティア精神(つまり実験的精神)をもった「自由な個人」を尊重すること。


p.186-187

グローバルな経済がでてくると、ある種の文化的なグローバル化も生じてきます。とくにアジアの場合は、アジアの都市がどんどん開発されていって、似たようなかたちで発展してくる。すると、いわゆる都市中間層が出現して、似たような文化的アイテムを消費する。


p.191

戦後の日本の教育にはひとつの思い込みがありました。それは、子供というものは素直で、自由に育てさえすれば、なにかよきものを自分の力で発揮していく、というような幻想です。もしも、子供たちがゆがんでいくとすれば、それは、国がある種の価値観を押しつけたり、教師が強権的であったり、受験競争で教育がゆがめられたりしているからだ、というものです。この種の価値観は、いうまでもなく、戦後の平和主義や自由主義、個性尊重などと強くつながっています。


p.208

保守主義とは、日常のなかのこの種の習慣の意義をまずは認めようというわけです。これは、ともかくも昔からの習慣を「因習」だとか、「合理性がない」といってできるだけ排除する方向に傾く「進歩主義」とは大きく異なったものです。
この安心して身をゆだねることのできる集団や習慣が崩れてきて、「宗教的な精神」もみえなくなってくると、人は、たとえば、ひたすらブランド商品を買い込んできたり、インターネットの出会い系サイトにはまりこんだり、何かの「オタク」に没入してしまったり、といったことになってしまいます。