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村上陽一郎『やりなおし教養講座』

やりなおし教養講座    NTT出版ライブラリーレゾナント005

やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005


「教養」というのになぜかすごく惹かれる。自分が持っていないからだろうな。「リベラル・アーツ」…響きがいいじゃないですか。この「アーツ」は芸術ではなく、技術。教養を持って日々を生きていくための、自己実現するための技術。かつては天文学、算術、幾何学、音楽だったわけですが、今なら何だろうな、と考えてみる*1
コンピュータとネットを中心にしたデジタルコミュニケーション(自己表現)、「やればできる」「世界は変えられる」と思えるセルフコントロール、自分を高めていくための自尊心、社会への関心をもちニュースを読むスキル…。ああ、いろいろありすぎるな。どうしぼり、どうまとめていくか。悩ましい(けど、楽しい)。
以下、メモ。

p.13-14

人間が自然に持っている欲望について、それを放恣に他人の前に解放するということに対する規制、慎みがあった。欲望を全面的に肯定し、解放してしまわないためには、口をつぐんでいること。これこそ慎み深さの基本であり、ディーセンシーの第一義ではないでしょうか。
しかし、戦後はそういうことが一つひとつなし崩しに崩されて、解放されてしまった。率直さはよいこと、あからさまはよいこと、欲望は解放されるべきであり、何かによって抑制されることは、個人の自湯の侵害である。そう私たちは言われ続けてきたし、自己規制をすることは罪悪であるかのように教えられた。それが戦後の社会の本質であった。その弊害というのが明らかになり、いまいろいろな点で日本人のディーセンシーが失われていくという形でも現れているのではないか。


p.14

私にとって教養という言葉の持っているぎりぎりのものというのは、人間としてのモラルです。教養という言葉を揶揄するときの常套句に「理性と教養が邪魔をして」というのがありますね。でも、慎みを忘れそうになったときに、「理性」と「教養」とが邪魔をしてくれなければ、それは人間じゃない、とさえ言えるのです。


p.30
リベラル・アーツ:
・人間が、知識人としての立場で、自然にアプローチしようとしたときに、身につけておかなければならない基本的な「アーツ」=技。天文学、算術、幾何学、音楽。


p.115
STS: Science, Technology and Sociey
・イギリスで始まった教育
・自然と接する理科と社会と接する理科と、その双方から考えられた教育が教養教育として考えられるべき


p.164
福沢諭吉が『学問のすすめ』のなかで言っている実学には、「修身」が含まれている。

*1:いや、もともとこの答えやヒントがないかと思ってこの本を読み始めたのだが、書かれていなかったから。