パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』

つっこみ力 (ちくま新書 645)

つっこみ力 (ちくま新書 645)


メディアリテラシーも論理力も、正しさにこだわりすぎじゃないの?もっとおもしろみをもってさー…みたいな本。なるほどね、と思う。

メディアリテラシーや論理力がなかなか受け入れられないのは、それを使う人たちの態度が間違っているからなんです。そこにあるのは容赦のない否定ばかりで、愛がありません。権威に刃向かう勇気がありません。そしてなにより、笑いがなく、つまらない。(p.103)

そして、容赦のない否定を「意見」に対してしているのに、それが「人格」に対してされているように思われることがある。意見と人格を分けて考えるようにできればな、と思う。こういうのこそ、学校のホームルームとかでやるべきよね。先生がこういう態度であればいいのか。

p.64-66
民主主義とはおもしろさのことである:

  • 社会問題には、利害関係があるので、唯一の正解はない。得する人は正しいというし、損する人は間違ってるというし、損も得もしない人はどうでもいいと思っている。
  • だが、人は、正しさでは動かない。郵政民営化が論点になった総選挙だって、庶民はおもしろさで動いた。親方日の丸の下で働いてた公務員がどうなるのか、やってみたかった。つまり、おもしろかった。
  • ただし、社会問題は正解がわからないからといって、どうせ何やったってムダさ、みたいな虚無的、シニカルな気分に逃げ込んでしまうのは、最悪。それは、勇気がないということ。


p.74

つっこみは全面攻撃ではなく、笑いによって相手の逃げ道を確保してやってるところも、高度で、かつ、人間味のある手段といえましょう。批判力や論理力をまともに使って攻撃してしまうと、たとえ自分が勝ったとしても、相手の逃げ道まで破壊してしまいかねず、どうしてもカドが立ちます。


p.75

周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば味方につけるのが、つっこみ力の理想です。論理的に相手を倒せなくても、相手をいじるパフォーマンスを見せることで、「そういわれりゃあ、なんかヘンだ」という感覚を、多くの人の頭に植えつけることができればいいんです。


p.103

メディアリテラシーや論理力がなかなか受け入れられないのは、それを使う人たちの態度が間違っているからなんです。そこにあるのは容赦のない否定ばかりで、愛がありません。権威に刃向かう勇気がありません。そしてなにより、笑いがなく、つまらない。