竹田青嗣『現象学は<思考の原理>である』
- 作者: 竹田青嗣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/01/10
- メディア: 新書
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現象学と言えば、フッサール。いまいちよくわからない部分が多いのですが、その現象学を、「わかりやすく哲学を話してくれる人」竹田青嗣さんが説明。哲学のいろいろあるテーマのだいたいは、正直どうでもいいと思っているのですが、この本の中で書かれている、複数人数がそれぞれに自分の信じる真理に固執して、対立をしているような状態を何とかできないのか?ということに、哲学を使うのであれば、それは非常に重要なことだと思うのです。
むしろ、「認識問題」の本質は、世界観や価値観が必然的に多数性をもつことを理解すること、またそのことによって、そこから生じる確執、相剋は、「真理」つまり絶対的な「正しさ」の発見ではなく、多様な世界観の「相互承認」と「ルール設定」という原理によってはじめて克服されうることを理解すること、に帰着するのです。(p.70)
以下、メモ。
p.59
「
問題なのはじつはリンゴではなくて、「世界」あるいは「世界像」なのです。正しい「世界像」というものはあるのか、それともそういうものは全然ないのか。そうだとすれば、人間にとって「正しさ」とはどのように考えられるのか、これが認識問題の核心です。そう考えれば、これがまさしくきわめて現代的な問題であることが理解されるはずです。なぜ世の中に多様な世界像や世界観が生じ、すなわち「正しさ」についての信念対立が生じるのか。またこの信念対立は、克服されたり調停されたりする原理をもつのか。
」
p.70
「
むしろ、「認識問題」の本質は、世界観や価値観が必然的に多数性をもつことを理解すること、またそのことによって、そこから生じる確執、相剋は、「真理」つまり絶対的な「正しさ」の発見ではなく、多様な世界観の「相互承認」と「ルール設定」という原理によってはじめて克服されうることを理解すること、に帰着するのです。
」
p.256
われわれにとっての「社会」とは何か?
西研『哲学的思考』(p.315)
1.<社会>とは、身の回りの範囲を超えた広範囲にわたる人々の関係であり、マスコミを通じて“思い描かれた”ものである。
2.<社会>は政治的単位としての「国家」と外延を同じくしない。社会は小さなものから大きなものまでさまざまな範囲があり、経済や人々の交流といった具体的な関係をイメージさせる。
3.<社会>は、人々がそこを生きるさいの<客体的環境>という側面と、“ともにルールをつくり共同の問題に対処しようとするわれわれ”という<共同的主体>の側面とを含みこんでいる。