[]サイト[]ウ・アキヒロ『ゲームニクスとは何か 日本発、世界標準のものづくり法則』

ゲームニクスとは何か―日本発、世界基準のものづくり法則 (幻冬舎新書)

ゲームニクスとは何か―日本発、世界基準のものづくり法則 (幻冬舎新書)


日本のテレビゲームが、どうしてこんなにユーザをひきつけてやまないのか、ということを科学しようという試み。ゲーム作りの要素として挙げられている以下の部分、非常におもしろいと思いました。

家電品やウェブなどに比べると、ゲームでは"使うこと自体"にはストレスがありません。
といっても、人を夢中にさせるゲーム作りの要素として、「ストレス」は重要です。プレイヤーにある種のストレスを与えながらも、それを乗り越えた先に快感が待っていると感じてもらい、それを乗り越えたいと思わせるという「ストレスと快感のバランス」が、ゲームを作るうえで一番大切なポイントとなっているからです。
簡単にいえば、「ストレスと快感を操るデザイン」こそがゲームデザインであり、言い方を変えれば「テレビゲームとはユーザーにストレスを与えることを前提としている」ものなのです。(p.27)

この「ストレスと快感を操るデザイン」って、教育もまったく同じだと思っているのです。ストレスを与え、それを乗り越えさせる、そのためのさまざまな方法論を提示していくのが、カリキュラムなのかな、と。そう考えると、ゲームニクスというこの考え方は、教育にも上手に応用することができるのではないかな、と思っています。
以下、メモ。

p.3-4
ゲームニクス理論:
テレビゲームを"科学"することで、ゲームに隠されている「人を夢中にさせる」ノウハウを抽出して理論体系化したもの

日本のテレビゲームにある2つの不文律:
1.誰でも、取扱説明書を読むことなく、ゲームが始められる
2.誰でも、遊んでいるうちに、ゲームにハマってしまい、ゲームが上手くなっていく

※これは実用品の世界にはほとんど見られない、ゲームならではの特性


p.27

家電品やウェブなどに比べると、ゲームでは"使うこと自体"にはストレスがありません。
といっても、人を夢中にさせるゲーム作りの要素として、「ストレス」は重要です。プレイヤーにある種のストレスを与えながらも、それを乗り越えた先に快感が待っていると感じてもらい、それを乗り越えたいと思わせるという「ストレスと快感のバランス」が、ゲームを作るうえで一番大切なポイントとなっているからです。
簡単にいえば、「ストレスと快感を操るデザイン」こそがゲームデザインであり、言い方を変えれば「テレビゲームとはユーザーにストレスを与えることを前提としている」ものなのです。


p.34
スーパーマリオクラブ
任天堂が社内にもつ、自社ソフトのクオリティをチェックするシステム
・制作の最終段階で、任意の"ユーザー代表"の人たちにテストプレイをしてもらう
・自分の完成やテクノロジー優先の自己満足に陥ることなく、ユーザー視点を持つ


p.47-49
ゲームニクス理論の2つの目的
1.マニュアルがなくても、直感的・本能的に理解し、操作できるようにすること
2.難しいことでも自然とできるようにする


p.52-65
ゲームニクスを構成する4つの大きな原則
1.直感的なユーザー・インターフェイス(=使いやすさの追求)
2.マニュアルなしでルールを理解してもらう(=何をすればいいのか迷わない仕組み)
  →スーパーマリオは第1ステージの冒頭にチュートリアルの要素を持たせている
3.はまる演出と段階的な学習効果(=熱中させる工夫)
  →ドラクエ:大目標と小目標は「○○をしろ」というふうに一方的に提供される
   「中目標」葉自分で設定するように仕組む(金をためよう、とか、経験値を上げよう、とか)
4.ゲームの外部化(=現実とリンクさせて、リアルに感じさせる)
 →ゲームにおいては、現実そのもののリアル感は求められていない
  現実をうまく抽象化し、誇張した、現実よりもリアルな感覚の演出


p.83
ファミコン以来、すべてのゲーム機は左手で十字ボタン、右手で複数の操作ボタンを操作するデザイン(=文法)でやってきた

DSでは、2画面+タッチペンというまったく新しい文法に


これによってユーザーはおろか、開発者すらどのようなゲームを作ればいいか、途方に暮れてしまいました。DSは開発者にとっても壮大な挑戦だったのです。
2画面+タッチペンという操作スタイルが反発を招いたのは、誰もが「両手で握って遊ぶ」スタイルに慣れ親しんでいたからです。
このように過去の出来事が現在の行動に影響を与えることを、経済学では「経路依存性」といいます。一度慣れ親しんだ操作系は、ユーザーが新しく商品を選択する上でも、大きな影響を与えるのです。


p.107

Wiiではテレビリモコンのように、Wiiリモコンを操作してゲームを遊びます。そのため画面上の特定の点を、リモコン本体を手で動かして、ポイントする機能があります。
(略)
これは全世界で誰も操作したことのない、まったく新しい入力操作です。自転車に乗ったり、水泳をしたりするのと同じで、慣れてしまえばスイスイと操作できるのですが、最初はちょっとコツがいります。
そのためにWiiでは電源を初めて入れると、「初期設定」という名目で、Wiiリモコンの操作トレーニングを行う工夫がなされています。
(略)
それでも、これをしなければゲームが遊べないのですから、ユーザーも必死になって食いついてくれます。少なくとも設定が終了できず、ゲームが遊べないという苦情は、私は耳にしたことがありません。逆に「設定すらも楽しかった」という意見があるくらいですから、この操作が「やらされている感」ではなく、「なるほど、なるほど、こうするのか」というわくわく感を演出しているということですね。


p.128
ボタンの信頼性が低い=ボタンの意味がモードごとに変わる設計

インターフェイス悪い


p.146

子供は「ゲームだから」夢中になるわけではありません。熱中してしまう仕掛けがあって初めて、夢中になるのです。
ですから、「ゲームの形態をとりさえすれば、子供は夢中になるだろうから、ゲーム形式で学習ソフトを作ろう」というのは的外れなアプローチなのです。「エデュテイメント」は、「ゲーム」という形にだけ注目し、ゲームニクス的な考察をまるでしていなかったために、結果として失速してしまったわけです。

p.148

DSと知育ソフトの組み合わせは、すでに社会に浸透しつつあります。これは日本独自の現象で、海外のシリアスゲーム関係者からも高い注目を集めています。
私は、この背後にあるのが、社会事象や歴史などをマンガで学ぶ、いわゆる「学習マンガ」の文化にあると考えています。今や、日本においては、教科書の中にマンガで解説する箇所があったりするほどですから、授業にゲームが活用されるのは、まさしく「思ったとおり」なのです。


p.166
ユニバーサルデザインの7原則
1.どんな人でも公平に使えること
2.使う上で自由度が高いこと
3.使い方が簡単で、すぐに分かること
4.必要な情報がすぐに分かること
5.うっかりミスが危険につながらないこと
6.身体への負担(弱い力でも使えること)
7.接近や利用するための充分な大きさと空間を確保すること