文藝春秋編『教育の論点』

教育の論点

教育の論点


2001年の本なので、学習指導要領まわりの議論については古いな、と思いますが、他のところに関しては今でもおもしろい。立花隆さんが言っている、現代の能力面での教養として必要な3つの力は、「なるほど」と思うところも多い。
以下、メモ。

p.43
立花隆(評論家)と東大立花ゼミ
立花隆による、現代の能力面での教養のゼネラルな定義:

  1. 論を立てる能力、誤った議論を見抜く能力、人を説得する能力。論を立てる能力の中には、論理力と表現力が入る。誤った議論を見抜く能力は、反駁する力にもなる。
  2. 計画を立てる能力、計画を遂行する能力、計画遂行のために他人をオーガナイズする能力。個人の力ではやっていけない社会の中で、目的を達成するためにチームを作り、動かす能力。
  3. 情報を収集する能力、情報を評価する能力、情報を利用・応用する能力。



大学では学問の見取り図を学ぶべきだと言いましたが、社会に出て仕事をするようになったら必ず、人的・物的、いろんな意味でのリソースを動員する必要が出てきます。そのとき見取り図が頭に入っていないと、そもそもどういうリソースを感情に入れるべきかがわからない。この3つの能力を使って、どのリソースが必要かを見きわめ、どこに行けば専門家がいるのかをつかむ。


p.54
渡辺格(慶應義塾大学名誉教授・分子生物学者)

本の学校はなぜか、小学校から大学まで、先生主体で運営されていることです。何でも先生がやってしまうのです。
例えば、AO入試を見ても、日本の大学の場合、教授や助教授といった教員が受験生と面接して、選抜していますが、AO入試の発祥の地である米国の場合、入試事務局のスタッフ(アドミッション・オフィサー)が大きな権限をあたえられていて、地位も高いのです。私立大学の場合、アドミッション・オフィサーが理事だったりするのです。
そのアドミッション・オフィサーは、先生方と対等な立場で、接触を持って、「どんな生徒が望ましいか」「前年入ってきた生徒はその後、どんなパフォーマンスを上げているか」などについて、絶えず打ち合わせをしながら、「では、来年はこういう生徒を探しましょう」というアドミッション・ポリシー(選抜方針)を決定していく。それらの作業は事務系スタッフが中心となって行います。こうした選抜方法こそが、本来の意味のAO入試なのです。


p.167
石原慎太郎

アメリカでは小学校に子供がはいったとき、先生が必ず言うことが3つある。第一は、みんなで決めたことは、嫌なことも一緒にやりましょう。二つ目は、町でお巡りさんが困っていたら手伝おう。これはアメリカがまだフロンティアだった頃の自治精神が受け継がれているに違いない。そして、いちばん大事なのは三番目で、学校で先生が言うこととお父さんお母さんの言うことが違っていたら、あくまでお父さんお母さんの言うとおりにしなさい、と。つまり、教育の主体は先生ではなく両親だということを、教師が始めから子供にはっきりと告げるのです。


p.181-182
重松清

  • 子どもの本を読んでいて、親である自分の方が夢中になってしまうことがある。それは、あのうるさいオヤジが自分のチョイスにハマった、ということで子どもにとってもうれしいようだ。ちょっと認められたような気がするのでしょう。
  • 子どもと続きを取り換えっこしながら読むと、発見もあり、そうした感想をやりとりする。
  • 子どもがその感想に反発してくるかもしれないが、そこにこそ子どもの本音が見えてくる。反論してきたら、そこでまた会話ができる。