ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの(下)』

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)


文明崩壊の下巻。日本は森林伐採による文明崩壊をトップダウンで免れた例として紹介されています。いろいろと興味深い話も多かった。政治問題を内包する地域と環境問題を内包する地域が重なっている事実。環境問題を何とかしない限り、結局崩壊に向かっていくのだ、という警告。
ダイアモンド博士の「慎重な楽観主義者」というのは、とても大切な資質なのではないかな、と思った。優秀なビジネスマンにも多く見られる資質なような気がしない?

p.352-354
政治問題を内包する地域と環境問題を内包する地域はぴたりと重なりあう:
アフガニスタン、バングラデシュ、ブルンジ、ハイチ、インドネシア、イラク、マダガスカル、モンゴル、ネパール、パキスタン、フィリピン、ルワンダ、ソロモン諸島ソマリアなど


両者の明白なつながりは、古代マヤやアナサジやイースター島の問題が現代社会に噴出しているというところだろう。過去とまったく同様、今日でも、環境ストレスもしくは人口過密もしくはその両方をかかえた国は、政治的ストレスにさらされ、政権が崩壊する危険性が高くなる。窮乏し、腹を空かせ、希望を失った住民は、政府に責めを負わせようとするだろう。彼らはなんとかして国外移住を図る。土地を奪い合う。殺し合う。内戦が始まる。失うものがないと知った者は、テロリストになったり、テロを支援もしくは容認したりする。
(略)さらには、独裁政権が国民の関心を内政からそらすため、近隣の発展途上国に戦争を仕掛けるというような事態にまで発展する。


p.358-360
オランダの環境保護意識の高さ:
・海面下の土地を干拓した歴史=ポルダー
 「神は大地を創ったが、オランダ人はオランダを創った」
・金持ちも貧乏人も一蓮托生。全国民の負担で高価な防潮堤を築いた
・自分たちだけのために投票活動を行う、アメリカとは違う
・エリートは一般社会の問題とはかかわらずにすむのではなく、最後に飢えるという特権を得るだけ


p.362

わたしは「慎重な楽観主義者ですよ」と答える。それはつまり、一方では、わたしたちの直面する問題の深刻さを知っているということだ。


p.365

過去が照らし出す重大な選択は、価値観を捨て去る勇気を伴うものだ。これまで社会を支えてきた価値観のうち、変化した新しい状況のもとでも維持していけるものはどれなのか?見切って、新しいやりかたに切り替えたほうがいいのは、どれなのか?


p.368

最後にもうひとつ、私の希望を支えるのは、これもまた現代世界のグローバル化による連結性の産物だ。過去の社会には考古学とテレビがなかった。15世紀のイースター島民が人口過密の内陸部にある森を農地開墾のためにせっせと破壊していたころ、彼らは、何千キロも東で、また西で、ノルウェー領グリーンランドとクメール人の王朝が衰退末期にあったことを、アナサジが数世紀前に崩壊したことを、さらにその数世紀前に古代マヤ社会が、その二千年前にギリシアのミケーネ文明が滅びたことを、知るすべもなかった。それに引き換え、今日のわたしたちは、テレビやラジオをつけたり、新聞を開いたりすれば、数時間前のソマリアアフガニスタンでの出来事を見たり聞いたり読んだりすることができる。(略)わたしたちには、遠くにいる人々や過去の人々の失敗から学ぶ機会があるのだ。過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。現代に生きる人たちがその機会を活かして、失敗しない道を選んでほしいというのが、本書を執筆するに際してのわたしの希望だった。


p.376
楡井浩一(訳者)さんによるあとがき:

さらに、本書を際立てているのが、第四部(将来に向けて)の3つの章だろう。第三部まで過去と現在の個別の社会について述べてきたことのまとめの形をとりながら、そこから一歩、大きく踏み出して、未来への建設的かつ実践的な提言が綴られている。そして、ここでもまた、ダイアモンド博士は観念論のハードルを軽々と跳び越えてみせる。例えば、企業に環境保護的な経営方針をとらせたいなら、倫理とか良心とかに訴えるのではなく、環境保護に心を砕くことが企業の利益につながるよう仕向けろ、と説くのだ。あるいは、流通の鎖の中で、消費者の圧力にいちばん敏感な環を狙って圧力をかけろ、と。
したたかなまでの実利主義。や、現場主義というべきか。それはまた、グローバルな人類大崩壊の危機を回避するには、もう悠長なことは言っていられないというダイアモンド博士満腔のメッセージなのだろう。