鬼沢真之・佐藤隆 編著『未来への学力と日本の教育6 学力を変える総合学習』

学力を変える総合学習 (未来への学力と日本の教育)

学力を変える総合学習 (未来への学力と日本の教育)


総合学習の基礎研究文献として読んでみた。
イエナプランについての記述などは、他のところでも読んでいたのがまた出ていた。ワールドオリエンテーションというこの取り組み、非常におもしろそう。
それと、コスタリカの平和文化教育も非常に興味深い。平和教育はライフワークとして取り組みたいと思っていることだから。その先達であるコスタリカのケースを知ることができたのは良かった。ちなみに、「平和」を単純に「戦争のない状態」と捉えるのではなく、平和を構成する価値観は、自分自身との平和、他の人々との平和、自然との平和の3つのカテゴリーに分けて捉えているところなども参考になる。こうして一つずつ、ブレイクダウンして考えていくべきなんだろうな。正月休みの課題にしようかな。
それから、学社融合研究所・越田幸洋氏が言っている、生きる力を「今を生きる力」と「明日を生きる力」に分ける考え方も好きかも。氏は、以下のように言っている。

「今を生きる力」は「現状を改善するための学習」によって養われ、「明日を生きる力」は「将来に備えるための学習」によって育まれる。これらの学習は、家庭、学校、地域のいずれにおいても行われるものであると同時に、それぞれの場で行われる学習が相互に深く結びついているのである。(p.209-210)

こういう区切り方、わかりやすくていいかもしれないな。参考にしてみよう。他のソースも当たってみよう。
最後に、総合学習については、奈良女子高等師範学校附属小学校*1で1920年(大正9年)から実施された「合科学習」がモデルになっているそうだ。学習即生活、生活即学習をモットーとする徹底した子ども中心、生活主義の立場に立つ教育だってさ。今でもこの文化は残っているのかな?
以下、メモ。

p.24-26
オランダ:イエナプランのワールドオリエンテーション

「広く浅く=知識の量」ではなく、「狭く深く=科学的真理探究の方法と態度を学ぶ」
ワールドオリエンテーションは、テーマ学習の形を取る。すなわち、ある一定の科目的な領域についての基礎知識を満遍なく身につけることが目的なのではなく、テーマを定めてそれを深く掘り下げることによって、子どもたちが自分の力で、知識を掘り起こして探究する態度と方法を身につけることを最大の目的としている。
教師は、こうした学習の企画や実践において、決して先に立って指導するのではなく、子どもの自主的な探究を後ろから支える立場に徹している。子どもの発見や問いかけには教師が予期できないものが多い。だが、教師は子どもに答えを与えるための存在ではない。できあいの探求方法を安易に教える存在でもない。子どもたちが、自分の発見を率直に表現し、探究のための手がかりを見出すことができるような環境づくりと適切な刺激を与えるのが教師の役割である。
子どもの探求に必要な情報源として、辞書・百科事典・図鑑・個別のテーマごとの情報パンフレット(300種以上のテーマを集めているもの)、インターネットなどが、教室内や廊下の棚に常設の備品として豊富に用意されている。


p.28

ただ、このように、子どもの発見だけを学習のきっかけにすると、「中核目標」に定められた、一定の知識や技能の習得を保証できなくなる可能性がある。そのため、子どもの発見を中核目標の枠に照らして関連付け、その後の作業の方向づけをする技能が教師に求められる。だが、それは、授業の準備・個々の子どもの発達記録・保護者や教職員との話し合いなどに従事しなければならない教師にはほとんど不可能な、多大の時間とエネルギーを要する。

この問題を解決するためにワールドオリエンテーション教材を開発:
そこには、子どもたちが実際に日常的に体験する経験領域として、7つの分野を設定。
1.作ることと使うこと:労働・消費・持続可能性
2.環境と地形:人、動植物の棲息、住まいとしての地球、宇宙環境
3.めぐる1年:季節、祝祭、学校の一年など
4.技術:建設、機械と道具、原料とエネルギー、技術についてなど
5.コミュニケーション:他の人と、自然と、他国の人と
6.ともに生きる:社会に属する、ともに生きるために、ともにひとつの世界を
7.私の人生:私、人々、おとなたち


p.46
コスタリカ:平和文化教育における基本的価値観に関する理論体系


まず、基本的な価値観として「普遍的責任」「共同体的精神」が挙げられている。普遍的責任とは、ここで述べられている平和の価値観が、あらゆるものが目標とすべきゴールであるという意味であり、共同体的精神とは、文字どおり地域コミュニティだけではなく、人々や生き物などの集合のあるところ、つまり家庭、学校、地域社会、森、山、谷、海、国、世界、地球、宇宙レベルまで、みな一つの共同のすまいに住み、ともに生きているということをだいじにする気持ちを意味する。
平和を構成する価値観は、自分自身との平和、他の人々との平和、自然との平和の3つのカテゴリーに分けられている。

自分自身との平和
 体における平和(心身の相関的調和、必要性の認識、適度な満足感)
 心における平和(調和、愛情と憐み、寛容)
 精神における平和(自己評価、自己尊厳、自己表現)

他の人々との平和
 みなの健全(寛大・許容、行動の模範、経済的保障)
 社会的・政治的参加(民主的参加、共益の推進、対立の平和的解決)
 民主主義文化(批判的参加、責任感、連帯)

自然との平和
 自然の均衡(エコシステム、維持可能な利用、エコロジー安全保障)
 生物多様性(保存・保全、保護、生物民主主義的参加)
 エコロジー意識(命の尊重、発展の潜在能力、宇宙との結びつき)


p.60

総合的な教育とは、本来、文字どおり教育全般、もっと言えば、子どもが生きている一瞬一瞬に関わるものだ。またそれは、勝ち統合的な教育でなければならない。そのような考え方が、コスタリカの教育では基本となっているのだ。
結論として、コスタリカの学校教育では、前述したような横断的価値観を、授業をとおしてというより、学校のみならず家庭やコミュニティを含めた生活全般を通じて子どもたちのなかにはぐくんでいくことが、最終的な教育目標となっているといえる。


p.112-114
フィンランド
フィンランドでは、一人ひとりの違いや多様性を認め合いながら、互いに教えあい、考えあいながら共同していく身のこなしがきわめて自然。

その潜在的要因は何か?
1.フィンランドでは、「わからないこと」や「できないこと」は決して恥ずかしいことではない。「わからない(できない)」子どもを、少しでも「わかる(できる)」ように支援することが教育実践の核心をなす思想=方法。
2.フィンランドの総合制基礎学校では、年齢の近い同学年の他者と比較して「遅れている」「進んでいる」「普通である」というような相対的な評価やランクづけをしない成績評価システム(その思想と方法)が徹底している。
3.学習活動そのものに関して国家的に行われている教育実践研究の成果=学びを学ぶ(Learning-to-learn)。ヤルッコ・ハウタマキ教授(Jarkko Hautamaki:ヘルシンキ大学教育学部長/2003年10月当時)


p.209-210
学社融合研究所・越田幸洋氏

私は、生活科で育もうとしたような生きる力を「今を生きる力」と呼び、中学校の選択家庭科で養おうとした生きる力を「明日を生きる力」と呼んでいる。
「今を生きる力」とは、ことばを換えて言うならば、現状の問題を解決する能力である。即応的な問題解決能力である。生涯学習論的な発想で言えば、「水平的学力(ヨコを統合する学力)」になる。「知恵」ということができるかもしれない。一方の「明日を生きる力」とは、将来の問題に対処するための問題解決能力である。「垂直的学力(タテを統合する学力)」である。「知識」といえるかもしれない。
「今を生きる力」は「現状を改善するための学習」によって養われ、「明日を生きる力」は「将来に備えるための学習」によって育まれる。これらの学習は、家庭、学校、地域のいずれにおいても行われるものであると同時に、それぞれの場で行われる学習が相互に深く結びついているのである。


p.231-232
佐藤学『教育方法学』(岩波書店 1996年)より、
先進国の教師の3つの弱点(アメリカの教育学者や社会学者による指摘)
1.どの教師が実践しても同じような教育効果を発揮する教材をつくろうと努力した結果、授業がレシピ化して、ファストフードのような味気ないものになってきた「授業のファーストフード化」。
2.「教師どうしが連帯していない」という問題。教師が本業である授業実践のために同僚性を築いて、互いに授業を高めていこうとしていない。
3.教師の公共的使命の喪失し、公僕として煩雑な仕事に忙殺され、ますます、自らの仕事の意味と価値を保証する専門性を喪失する危機に立っている


p.233
総合学習は「もの」から始めよう
・磁気切符やハンバーガーなどを素材にして行うことで、学ぶ意欲を喚起する


p.238
考えをまとめるしくみ「ウェビング」と「単元の構想」

ウェビング:教師の教材研究の表現。教材研究の内容を1つのクモの巣のように関連させてまとめるのが「ウェビング」、各自が作成した「ウェビング」を持ち寄り、何を追及していくか、研究会で検討していく。

単元の構想:
1.喚起
子どもたちが「もの」と出会い、意欲をもって課題追求に取り組むエネルギーを醸成する場。

2.追及
エネルギーを持続させて、情報を収集し、整理し、まとめる場。たくさんの学び方を学習し、話し合い、練り上げることが大切。

3.深化・発展
自分の考えを深め、他者へ発信し、交流する場。ただの知識として学びを終わらせず、発信していくことで生きた知識へと変容する。


p.287
総合的学習のモデルは、奈良女子高等師範学校附属小学校で1920年(大正9年)から実施された「合科学習」だったそうだ。
学習即生活、生活即学習をモットーとする徹底した子ども中心、生活主義の立場に立つ教育。

*1:出た、ならぢょ・笑