マーク・プレンスキー『テレビゲーム教育論 ママ!ジャマしないでよ 勉強してるんだから』

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから


教育の仕事をしていて、「どう教えるのか」というのはずーっとつきまとうテーマ。楽しく教えるには何ができるだろう、といつも考えるのだけど、その手法の1つとして、ゲームを使って教えたらどうなるのだろうか、というのはいつも思うこと。アメリカでは「Serious Game」という概念ですでに研究が進んでいる。で、それを日本に紹介してくれている藤本さんの本。デジタルネイティブ、という概念や、「フロー状態」の話など、興味深いトピックがたくさん取り上げられていました。もっともっと、新しい概念を教育現場に取り入れるべきでしょ。以下、メモ。

p.4-5

おそらく、あなたが子どもたちのゲームについて理解すべき最も重要なことは、次のことだろう。
「子どもたちがゲームに夢中になる要因は、ゲームのなかでの暴力や建物を建てること、レース、撃ち合いなどの表面的な事象によるものではない。子どもたちがゲームにこれほどまでに長時間夢中になるのは、学んでいるからであり、彼らは将来のために重要なことを学んでいるのだ」。
私たち大人が、みんなゴルフや釣りやさまざまな趣味のスキルを磨くために多大な時間を費やしているのと同じく、子どもたちだって無理強いせずとも楽しく学べる。実際、子どもたちの頭脳は発達を続けているので、発達の止まった私たちよりも、強制されない学習を楽しんでいることだろう。これはゲームデザイナーのラフ・コスターが言うところのゲームの持つ「楽しさ」であり、子どもたちは「強制されない学習」ができるものをいつも探しているのだ。


p.34
子どもたちは私たちとは違う--彼らはネイティブで私たちは移民だ

20世紀末ごろに起きたデジタルテクノロジーの急速な普及によってもたらされた、根本的で不可逆な変化=「デジタル社会の特異点

p.35

幼稚園生から大学生まで、最近の生徒、学生たちは、新しいデジタルテクノロジーと共に育ってきた最初の世代だ。彼らは、パソコン、ゲーム機、DVDプレイヤー、ビデオカメラ、ネットオークション、ケータイ、PDA、その他たくさんのデジタル時代のおもちゃやツール類に囲まれて育ってきた。今日の平均的な若者は、幼稚園から大学卒業までの間に、読書に5000時間を費やし、ゲームを1万時間プレイし、もう1万時間をケータイ、2万時間はテレビを見て過ごしている。全体で見れば、年間2000億件の着メロ、2000億曲の音楽ファイルをダウンロードし、毎日6000億件のテキストメッセージを交換している。それに25万通のeメールとインスタントメッセージを送信し、21歳になるまでに50万本のコマーシャルを視聴する。これが若者たちのデジタル生活プロフィールだ。
デジタルテクノロジーは、子どもたちにすれば生まれた時から生活に根付いている。その結果、子どもたちの思考や情報処理の方法は、アナログ世界に育った私たちや、それ以前の世代とは根本的に異なっている。これらの違いは、世の親や教師たちが気づいていることよりもはるかに広くて深く、脳の形成に違いをもたらすほどのものだ。ベイラー・カレッジ・オブ・メディシンのブルース・D・ベリー博士の言う「異なる経験は、異なる脳の構造形成を起こす」ということが起きているのだ。


デジタルネイティブとデジタル移民の分化

デジタル移民にはアクセント=過去の週間の癖が残る
・eメールをプリントアウトして読む
・ネットを第一でなく、第二の情報源として扱う
・ソフトウェアにチュートリアルが組み込まれていることを想定せず、まずマニュアルを読もうとする
・文書データを校正するときは、コンピュータの画面上でせず、プリントアウトする
・オフラインでしか現実生活は起こらないものだと考えている!


p.37
デジタルネイティブはデジタル移民では教えられない
・「ダイヤルを回す」など、意味が分からない
・ネットでさっさと情報を手に入れる
・ネイティブは一度にいくつものことを同時にできる
・ネイティブにはグラフィックが文字よりも先に来る
・順序にこだわらず、ランダムに情報を集める(非線形
・人とつながっていることを好む
・すぐに満足できることや、頻繁に結果が出ることを好む
・堅苦しい環境よりも「ゲーム的な」環境を好む


p.39

今の子どもたちには、私たちの世代を教えるために設計された古い教育システムは機能しない。


p.45

注意すべきなのは、脳も思考パターンもそう簡単には変わらず、変えるためには多大な労力が必要だという点だ。ある研究者が指摘しているように「その動物がその動作と知覚的なインプットの関連性に注意を払った時だけ、脳の再構成が生じる」。ある読解スキルの再訓練プログラムによる脳の研究では、毎日100分を週5日間、5〜10週間も実施して、ようやく脳の変化が観察できた。なぜなら、他の研究者が指摘しているように、「脳が再販線されることに集中する必要がある」からだ。
1日数時間、週5日間、何かに注意を払うということから、何かが思い当たらないか?そう、テレビゲームだ。(略)「コンピュータと共に育ってきた子どもたちは、ハイパーテキスト思考を発達させている。思考があちこち飛び回っても、それが順を追ってではなく、同時並行的な認知構造のもとで処理されている」と、ある研究者は言う。子どもたちの脳はとてもうまく再構成されているため、「ゲームやウェブサーフィンなどの活動を通して発達した脳には、今の教育システムが提供するような単線的な思考を強いるようなやり方では、学習を非効率にしてしまう」とこの研究者は指摘している。


p.48
デジタルネイティブが脳を「再プログラミング」して、何を失ったか?
「振り返り」の能力は影響を受けていると思われる
→ゲームやプログラミング、Undo機能を巧みに利用して、振り返り失敗した点まで戻ってやり直すことができている


p.80
子どもたちをプレイさせ続けるものは何か?

複雑なゲームの最も重要な特徴のひとつで、私が話を聞いたプレイヤーたちが最も挙げていた理由とは、プレイしていて上達している感じがすることだ。ゲームデザイナーたちが上達したことをプレイヤーに理解させる方法として編み出したのが「レベルアップ」だ。(略)感覚的に、レベルアップすることでゲームに上達したことを感じることができ、はじめはクリアできなかったような難しくて複雑なことができるようになったことを意味する。(略)
何か聞き覚えがあるだろう。これはまさに私たちがスポーツや趣味や、(運が良ければ)仕事の世界で上達した時と同じ感覚なのだ。現在はクレアモント大学院大学の教授となったミハイ・チクセントミハイは、高度な技術を実践する時などに生じる喜びの感覚、「フロー状態」がどういうものかを描写したことで知られている。
だが、本当に「フロー状態」を体験するには、レベルアップ以外にも重要な要因が必要となる。そしてその要因も複雑なゲームは提供している。その要因とは、難しすぎず簡単すぎない、ちょうどよい難易度の状態に保ち続けることだ。ゲームがプレイヤーにとってちょうどよいレベルの難しさである限り、「本気でやればクリアできる」と感じてプレイし続けたくなるのだ。複雑なゲームは、プレイヤーにそのような感覚を持たせるようにデザインされており、とてもよくバランスが調整されている。


p.87

複雑なゲームの多くは、すでに学校の外で子どもたちを教育しているうえ、学校教育で利用できる多くの可能性も秘めている。そのため、親や教師、あらゆる教育関係者たちは、この本で示す以上にゲームのことを学んでいく必要がある。


GamesParentsTeachers.com
What Video Games Have to Teach Us About Learning and Literacy(ジー)
Got Game(ベック&ウェイド)


p.97

当然ながら私たちの社会的関心は、暴力に反対する強いメッセージをできるだけ頻繁に送り続けることにある。ゲーム内での悪い行為は必ず悪い結果を呼ぶようにすべきだと主張する声もあるが、そんなことをして純粋に道徳的なゲームにしてしまうと、そのゲームはほとんどのプレイヤーにとって魅力のないゲームとなってしまう。他のエンターテインメントメディアと同様、ゲームの魅力となるのは「安全な環境での逸脱行為」にある。しかしそんな行為にも学習は含まれている。ジェンキンスは「近年のゲームは、より倫理的に複雑で、攻撃性や喪失感、苦しみといった感情を引き起こすものになっている」という。これらの感情は、現実生活を送る上で深い学習が求められる重要な感情だ。


p.186

この機能(位置情報サービスGPS)は特定の場所での学習に利用できる。生徒のケータイに場所の指示を出して、街や自然を探索させるようなこともできる。この機能を利用した「拡張現実(Augmented Reality)ツアー」も世界各国でデザインされており、いずれは多くの学校や大学のオリエンテーションのためのツールとして利用されるようになるだろう。これを使えば正しい場所にいるかどうかを確認できるため、オリエンテーリングはもとより、地理学、考古学、建築学、科学、数学をはじめさまざまな教科の学習に利用できる。生徒達はGPS機能を駆使しながら物や場所を探したり(このような活動は「ジオキャッシング」という宝探しゲームとして知られている)、MITの学習ゲーム「エンバイロンメンタル・ディテクティブズ(Environmental Detectives)」のように環境調査をして危険な場所を指摘したりできる。


p.201
・「教育とエンターテインメントを区別する人は、そのどちらについても理解していない」(マーシャル・マクルーハン
・「ゲームデザイナーたちは、インストラクショナルデザイナーたちよりも学習についてはるかによくわかっている」(シーモア・パパート、MIT教授)
・「学習とは規律からではなく、熱意から生まれるものだ」(ニコラス・ネグロポンテ、MITメディアラボ創設者)


p.207
LANパーティ:
ゲームプレイヤーたちが集まって、自分のPCを持ち寄り、LAN構築する
・自発的に参加する課外活動のように好きなことを詳しく学べる


p.261

Social Impact Games(www.socialimpactgames.com)にアクセスしてもらうと、(学校教育には限らず多様な分野の)教育に対応した数多くのゲームタイトルを見ることができる。台数、アメリカ史、ラテンアメリカ史、ヨーロッパ史、アジア史、コンピュータ、英語教育、環境科学、家屋建築、職業体験、社会学、文化人類学(生命シミュレーション)、リスニング、数学、物理、プログラミング、読み方、科学、シェークスピア、遠隔通信、大学経営など、さまざまだ。「教育」以外のカテゴリーに分類されているゲームも、教育的な利用が可能だ。これらの多くは「本物の」ゲームであり、エデュテインメントではない。
これだけでカリキュラムになるくらいだ!大きな議論の的になるのは、ゲームで学べるカリキュラムは、必ずしも学校で教師が教える標準カリキュラムと同じものになるとは限らないということだ。これは米国でも他の国でも共通している。


p.331
ティーンの言葉
Yahooがスポンサーとなって2003年に開催された"Born to Be Wired"カンファレンスWebサイトに掲載されているビデオより。
http://webevents.broadcast.com/wsp/build_09/english/frameset.asp?nEventID=7332&loc=