ベネッセコーポレーション『ベネッセが見た教育と学力』

ベネッセが見た教育と学力

ベネッセが見た教育と学力


教育界の巨人、ベネッセについていろいろと勉強しています。社長交代とかいろいろと大変そうですが、でもお客さんの数から考えたらやはり圧倒的な強者ですし、何よりも幅広い層と学校へのチャネルとして持っていることはすごいと思うわけで。現場の人たちの仕事の紹介や、仕事の方向性などが紹介されていて、参考になりました。特に、福岡の城南高校で有名になった「ドリカムプラン」などは、新聞社とのプロジェクトをやったときにかなり話に出てきていたものだったので、懐かしく読みました。
以下、メモ。

p.25

子どもたちは、時代の趨勢にきわめて鋭敏に動く。子ども自身、自分たちの将来が厳しいであろうことはよく知っている。軒並み実学志向、資格志向に走るのはそのためだ。とりわけ、理数系の人気が高く、ある程度の学力がある女子生徒は薬学部を、東大か医学部かという選択では医学部を選ぶ子どもたちが増えている。看護・福祉・保健衛生、美容師や大工など「手に職」志向の若者も多い。

山河健二氏(高校事業部)
「志望と学力、そして現実への認識がアンマッチという例が多いんです。福祉関係だってね、老人の下の世話をどれだけの若者が覚悟を持ってできるでしょう。体を支えるには力もいるし、人一倍の優しさも必要です。でもそういうことを生徒は知らないんです。だから、進路指導に力を入れる学校では、いろんな職業人を招いて話をしてもらう機会を増やしています」


p.27
山河健二氏(高校事業部)
「多くの高校生は、抽象的なことを言ってもなかなか行動に移せないんです。努力目標を設定して、目標から逆算して今やるべきことを現実的に理解していく。それを具体的に示すために、子どもたちに逆算表を自分で書かせるんですよ」


山河には、この逆算表を巡る鮮烈な記憶がある。
実は、山河が講演会で使っている先に紹介した「逆算表」は、以前ある高校で使われていたものをヒントにしている。
1991年。雲仙普賢岳から火砕流が発生し、大災害となった。地元の島原高校を訪ねた。学校は長い間休校となっていた。
「先生たちがね、子どもたちにひたすら自分の将来を書かせていました。希望の職業は何か、行きたい学部はどこかって。つまり、自分を見失うなよってことですよ。仮設住宅を訪ねてね、靴を縦に重ねてなければならないような玄関から見えたんですよ。ミカンの段ボール箱を机にして勉強する少年がね」
その年、島原高校の大学合格率は過去最高だった。


p.37
高橋幸生(文教本部 九州・沖縄地区学校教育事業統括)
城南高校のケースがきっかけの一つとなり、詰め込み型で勉強をさせるのではなく、子ども自身が自ら勉強したいと思うようにさせる指導への流れができていったのだと思います。この事例が、他校にも影響を与えました」


事実、その後あちこちの高校で、生徒の自発性を高める進路指導に力を入れる取り組みが始まった。福岡県立小倉高校の「倉高ONLY ONE計画」や同じく久留米高校の「セサミプラン」…。いずれも「進路」を考えるところから生徒の学習意欲を上げていこうとするのがねらいである。


p.151

2003年10月、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会が、学習指導要領の「歯止め規定」をなくすことを答申した。
新学習指導要領においては、教科内容が削減されたことによる学力低下への不安に対して、文部科学省は、「学びのすすめ」を出すなどして「学習指導要領は最低基準である」と説明してきた。つまり、学習指導要領で書かれていること以上の内容は、各自治体や学校現場の裁量に任せる、ということだ。しかし実際には、学校で子どもたちが使う教科書の検定で「学習指導要領」を「上限」とする「歯止め規定」があったため、教科書は学習指導要領を超えた内容を記述できず、教える内容を制限していた。「歯止め規定」がなくなることで、理解が進んだ子は発展的な内容を学習できるなど、全員一律の教科学習が名実ともに見直されることになる。


「歯止め」がなくなる:
・教科書ごとに発展的な内容を工夫をこらして掲載する
・基礎基本の最低基準は学習指導要領で決め、その深めと発展は各現場に任される


p.152

学習指導要領が「上限」でもあり「下限」でもある時代には、学習指導要領を具体化した「教科書」は、主な教材として使用しなければならない絶対的な学習のゴールであった。したがって、教材・教具も教科書をベースに、教科書の内容をいかにわかりやすく学ぶことができるかが問われていた。しかし、今後は、教科に対するしっかりとした「観点」を持った教材・教具作りが必要となる。