中島義道『働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか』

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)


この人の書く本には妙な迫力がある。きれいごとではなく、自分で考えている感じが滲み出ている。思想の研究かではなく、思想家だと思える数少ない日本人。でも、読むのにパワーが入るんです、この人の本は。自分が弱っているときに読むと危険。リスキーな時期に読んじゃったけど、読んで正解だった。

p.35

本屋には、仕事に関する本が山のように積まれている。その大半は、第一に、叱咤激励してストレートに成功へと導く本、そして第二に、成功をめざしてアクセク働くことはない、ゆったりした自分らしい人生を歩もうという本、この2つに大きく色分けされるように思う。
だが、私が言いたいのは、このいずれでもない。もっと身も蓋もない真実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。いかにノンベンだらりと暮らしていても、頭上の棚からボタモチが落ちてくることがあること。いかに品行方正な人生を送っても、罪を被ることがあり、いかに悪辣な人生を送っても称賛され賛美されることがあること。
そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。だから尊いということ、(略)
われわれは実際に仕事してみること「そのこと」のうちからしか、自分の適性はわからないだろうし、才能はわからないだろうし、ほんとうに自分のしたいことすらわからないだろうということ。つまり、「自分とは何か」はわからないだろうということである。日々の仕事に違和感を身に沁みて感じたからこそ、そこからの転職も現実的な力となる。日々の仕事に不満を感じながらも、そこから逃れようとしないことのうちに、自分のかつての夢の「軽さ」もわかってくる。
しかも、自分にふさわしい仕事をやっと見つけて、その中で自分のしたいことがわかったとしても、けっして(いわゆる)バラ色の人生が開けているんではないんだ。そこでもあなたは、またもや敗退する可能性は高い。しかし、それでもからだごと動いてゆくことを通してしか、あながた「よく生きる」ことはできない。


p.67

私の持論なのだが、自分の仕事にプライドをもっているなら、けっして「二流でいい」と自分にささやいてはならないように思う。「仲間に負けてもなんともない」と言ってはならないと思う。タコ焼き屋でも、ラーメン屋でもいい。仲間に負けてもなんともないのだったら、それは厳密には仕事ではなく趣味だ。
そして、残酷なことに、いかに努力しようとほとんどの人はその限られた微小な分野でさえ一番にはなれない。仕事に挑む限り負けるのだ。負けつづけるのだ。私はこうした生き方こそ、真摯な充実した人生なのだと思う。何かに賭けた者を襲うその苦しさこそ、あえて言えば仕事の醍醐味なのだと思う。


p.93

仕事の評価を下す場合には、常に醒めていなければならない。成功者に熱狂するんではなく、その結果を尊重しながらも同時にそれが偶然であることを見つづける目も養うこと、失敗者をとっさに軽蔑するのではなく、無理にでもそこに残酷な不条理が働いていることを確認する目を養うこと。しかも、「成功したからずるいのだ」とか「失敗したから真摯なのだ」というような符号を逆にしただけの操作ではなく、いきいきとした複眼的な目を養うことが。ここから哲学につながるんだけどね。