D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)


インターフェースデザインに関連する書籍としては古典と言えるでしょう、ようやく読めました。おもしろかった。学習カリキュラムを通じて、「教えられた無力感」を学習者に与えてしまっているのでは…という問いかけがある。これ、カリキュラムもデザインと捉えたとてもいいトピックだと思いました。より深めていろいろと読みたい。あまりにとっかかりが多すぎて、どこからやればいいのかわからんくらい(笑)
以下、メモ。

p.vii
POET:
The Psychology of Everyday Things
毎日使う道具に繰り返し繰り返しいらいらさせられている私の経験と、実験心理学と認知科学の組み合わせから生まれたもの


p.4

ためしにドアを考えてみよう。ドアに対してできることというのは大してない。開けて閉じるだけだ。オフィスビルの廊下をあなたが歩いているとする。さあ、ドアだ。どちらの方向にそのドアは開くのだろうか?押すべきか引くべきか、右のところを、それとも左を?ドアは滑って開くのかもしれない。そうだとしたら、どっちの方へ?私は天井の方に滑って開くドアを見たこともある。ドアは、単に2つの本質的な質問を提出しているにすぎない。すなわち、どちらに動くのかということと、ドアのどちら側に力を加えたらいいのか、ということだ。その答はデザインが与えるべきもので、説明の文字とか記号は必要なく、また試行錯誤の必要もあってはならない。


p.6

このドアの話は、デザインの最も重要な原則の一つである可視性(visibility)の例である。操作するときに重要な部分は、目に見えなくてはならない。また、それは適切なメッセージを伝えなくてはならない。押して開けるドアならば、どこを押したらいいのかを自然に伝えるシグナルをデザイナーは提供しなくてはならない。そのシグナルは必ずしも美しさを損なうとは限らないだろう。ドアの押す側に縦長の板をつけて、反対側には何もつけない。あるいは、支軸を見えるようにする。これらの縦長の板や支軸は自然なシグナルであり、特別意識しなくても自然に解釈されるだろう。このような自然なシグナルを使うことを私は自然なデザインと呼び、この本を通してこのアプローチを詳細に説明していきたいと思う。


p.20-34
理解しやすさと使いやすさのためのデザインの原則

1)よい概念モデルを提供する
よい概念モデルがあると、私たちは自分の行為の結果を予測できるようになる。良いモデルがないときには、機械的にやみくもに操作しなくてはならなくなる。概念モデルはデザインにおいて重要な概念であるメンタルモデルの一部。メンタルモデルは、自分自身や他者や環境、そしてその人が関わりを持つものなどに対して人が持つモデルであり、経験や訓練・教示などを通じて身につける。

2)ものを見えるようにする
昨日やスイッチなどについて、学習が簡単で使いやすいのは、ボタンが少ないなどの問題ではない。「ものが見える」ということである。スイッチとそれでコントロールされるものの間に、良い対応づけや自然な関係がある。すると、フィードバックも良好で、ユーザの意図とその実現に必要な操作、結果の間に恣意的でないわかりやすくて意味のある関係が存在するようになる。


p.41

電話でも車でも容易な部分は共通している。また、困難な部分も共通している。関係するものが目に見えるときは、見えないときよりも簡単になる。さらに、コントロールスイッチとそれが果たす機能の間には、緊密で自然な対応関係である自然な対応づけ(natural mapping)がなくてはならない。


「フィードバックとは、どのような行為が実際に遂行され、どのような結果が得られたかに関する情報をユーザに送り返すことで、制御・情報理論の分野ではよく知られた概念である。自分の声さえも聞こえない場面で誰かに話をするとか、描いても跡を残さない鉛筆を使って絵を描こうとすることとかを考えてみれば、フィードバックのない状態がどういうものかわかる。


p.67
■学習された無力感

自分を責めるということは、学習された無力感(learned helplessness)と呼ばれる現象で説明できるかもしれない。学習された無力感とは、ある作業でしばしば数え切れないほどの失敗の経験を繰り返すような状況のことを指している。その結果として、その人は、その作業は少なくとも自分ではできないものと思い込み、無力感をもつ。そして、ついには試みることをやめてしまうのである。この感覚が他の作業に対して広がってしまえば、結果として生活を続けていくのがひどく大変になる。


p.68
■教えられた無力感

技術嫌いや数学嫌いの人はずいぶんいるが、その人たちはある種の学習された無力感の結果生まれてきたのだろうか?それ自体ではなんということもないと思われる場面で何回か失敗することが、技術を使うこと一般や数学の問題すべてに般化してしまうのだろうか?(略)この現象を教えられた無力感(taught helplessness)と呼んでもいいのではないだろうか。
あたかも誤解を生み出すために作られているかのようなひどいデザインのものや誤ったメンタルモデル、そして貧弱なフィードバックのもとでは、あるものを使ったときに何か問題があれば、自分が悪いと思ってしまうのも無理もない。他の人はそんなもので困っていないと思っているときは(実際にはそうでもなくても)、なおさらである。あるいは、普通の数学のカリキュラムを考えてみてほしい。そこでは、容赦なく授業は進められ、新しい単元に入るときには、それまでに学んだことのすべてを学生が理解していることを前提にしているのである。一つひとつは簡単だったとしても、一度落後したら追いつくのは大変だろう。そして、その結果数学嫌いが一人誕生する。それは教えられる題材が難しいためではなくて、ある段階において困難が生じると、それ以降の進歩をはばんでしまうようなやり方で教えられるためなのだ。いったん失敗すると、自分を責めるということによって数学一般にすぐ般化してしまうことが問題なのである。


p.77-78
■行為遂行のサイクル
・ゴールの形成
・意図の形成
・行為の詳細化
・行為の実行
・外界の状況の知覚
・外界の状況の解釈
・結果の評価


p.86
■デザインの方略
・可視性:目でみることによって、ユーザは装置の状態とそこでどんな行為をとりうるかを知ることができる。
・よい概念モデル:デザイナーは、ユーザにとってのよい概念モデルを提供すること。操作と結果の表現に整合性を持ち、一貫的かつ整合的なシステムイメージを生むもの。
よい対応づけ:行為と結果、操作とその効果、システムの状態と目に見えるものの間の対応関係を確定することができる。
・フィードバック:ユーザは、行為の結果に関する完全なフィードバックを常に受け取ることができる。


p.92

人は、「ofの知識(事実についての知識)」と「howの知識(手続きについての知識)」という2種類の知識を使って活動している。


p.136
■日常場面に存在する制約の分類
物理的な制約:ある場面で可能な操作はせいぜいいくつかしか残らないように設定できる。
意味的な制約:状況の意味にもとづいて可能な行為の集合を制約する。
文化的な制約:そこで受け入れられている文化的な慣習にもとづく制約が存在することがある。
論理的な制約:自然な対応づけを機能させる制約。


p.140

アフォーダンスと制約のもつ特徴は日用品のデザインに適用することができる。そうすれば私たちがそれらを取り扱う際にもっと話は単純になるはずだ。


p.301
■探索可能なシステム

あるシステムを学習しやすく使いやすくする重要な方法の一つに、そのシステムを探索可能にして、ユーザに試させたり、実際にいろいろ活発に探索させて何が行えるかを学習させるというやり方がある。(略)システムを探索可能にするには3つの必要条件がある。

1.システムのどの状態においても、ユーザがそこでどんな行為をすることが許されているかがすぐにわからなくてはならない。これが見えることで、ユーザはさまざまな試行を重ねる。
2.それぞれの行為の結果は目に見えるとともに解釈しやすいものでなければならない。ユーザはそれぞれの行為の効果を学習し、システムのメンタルモデルを作りやすくなるし、フィードバックの意味がわかるようになる。
3.行為は代償なしに実行できなくてはならない。また、元の状態に戻すことができなくてはならない。


p.309
■デザインの原則
1.外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する。
2.作業の構造を単純化する。
3.対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける。
4.対応づけを正しくする。
5.自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する。
6.エラーに備えたデザインをする。
7.以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする。

p.330

デザインをする際に、どうしても恣意的な対応づけをしなくてはならなかったり、問題が残ってしまうようなときには、最後の手段として標準化という方法がある。ユーザの行為や結果やシステムの配置や表示を標準化するのである。関連のある行為は同じように機能するようにする。システムやその問題を標準化し、国際的な標準を作成するのである。標準化のすばらしいところは、標準となった仕組みがどんなに恣意的なものであったとしても、一度学べばそれですむというところにある。人はそれを学んで、効率的に利用することができる。タイプライターのキーボード、交通標識や信号、測定の単位、カレンダー、これらすべてがそのようにできている。一貫してその決まりが守られている限り、標準化はうまく機能する。