プラクティカ・ネットワーク編『クリエイティヴ・アクション 日常を変える』

日常を変える!クリエイティヴ・アクション (Practica)

日常を変える!クリエイティヴ・アクション (Practica)


日常を変える、というサブタイトルに惹かれて…。おもしろかったです。いろいろな人が書いているので、惹きつけられるところが違うと思いますが、僕的にはいくつか書いてあった身体的なワークショップについての原稿がおもしろかった。ディープ・リスニングとかインプロビゼーションとか、仕事に役立つかも。
以下、メモ。

p.14
クリエイティブ・アクション=

自分の痛みや、人と人、人と環境との間にうまれる葛藤を見つめ、それをポジティブなものに変えていくクリエイティヴさ。それは、私たちの「矛盾(conflict)」を解決しようとする根源的なクリエーションだ。
今、圧倒的に情報が足りないのは、こうしたクリエイティヴィティではないだろうか。
住む、纏う、食べる、遊ぶなど、私たちは日常のなかで様々な矛盾を突きつけられ、そして解決を求められる。たとえば、遊びの中に深い開放感がないのはなぜだろうか。そこには「遊んでいるようで、消費させられている」という矛盾があるからだ。
こうした矛盾を解決していくには、クリエイティヴさが必要になる。


p.54
ボーリン・オリヴェロスによるディープ・リスニング
「The Heart Chant」のワークショップ
・40名くらいの参加者はエンジンとなって並んで立ち、それぞれの手の平をすり合わせる
・手のひらに熱が帯びたところで、右手を自らの心臓が位置する左胸に当て、もう片方の手を左隣にいる人の左側の背中に当てる
・参加者全員の心臓が自分と隣り合った人同士の手の中で繋がるように感じられる
・自分と隣の人の手のぬくもりに包まれた自らの心臓の居場所を意識しながら、深い呼吸のなかから、大きな声で「Ah-」「Ka-」と全員で発声する

p.58

ピクサー・ユニバーシティは、学位の取れる大学ではなく、ピクサーが行っている社員教育プログラムの呼称である。(略)ピクサーの社員であれば、提供されている科目を自由に受けることができる。社員は、ランチタイム前後に開かれているさまざまなクラスから、自分の取りたいものを選ぶ。自分に必要なことを自分の選択で行なう。それがピクサーのスタイルだ。これらのクラスへ出ている間は、仕事を休んでもよいというルールになっている。

ストックリーのインプロヴィゼーション=即興演劇
1)壁に大きな白い紙を2枚貼る
2)参加者に、今日のこのクラスに期待していることは何か訊く
3)参加者が言ったことを紙に書いていく
4)最初に自分の名前を紹介しあったり、2人組で2人の間の共通点を3つ探すというアクティビティをやったりして、お互いを知り合う。
5)サンキューゲームをする。このゲームでは、まず誰かが輪の中心で特に意味のないポーズをとる。そして、別の人が、そのポーズを正当化するように加わり、2人で1つの絵になるようにする。ゲームの中で、誰も躊躇して入れなくなるときには、「飛び込んで」と言ったり「まねや抽象的なものでもいい」という。参加者は少しずつほぐれていく。
6)マジックボックスをやる。2人組で行なう。1人がマイムで架空の箱を作る。もう1人がその箱を開け、中から何でもいいから何かをマイムで取り出す。そして、そのものに名前をつけて捨てる。箱を作った人は、「取り出して」「それは何?」「捨てて」と声をかけたり、「中に何か熱いものがある」「何かやわらかいものがある」と言ったりする。相手の想像力を刺激するアイディアの産婆役である。
7)連想ゲームをやる。一人が前に出て、残りの人々は、その人を囲むように半円形に並んで立つ。そして、並んだ人々が順番に単語を言っていく。そして、前に出た人はその単語から連想する語を返していく。
8)ノンシークエンシャルリストをやる。これは2人組でつながらない言葉を言い合うゲーム。
9)複数の人で1つのストーリーをリレーしながら話していくゲームをやる。
10)短いシーンをやってみる。「料理」「車の運転」など、いろいろなアクションをマイムでやる練習をしてから、1人の人が何かアクションをして、隣の人がその人に関わって二言三言の短いシーンを作ってみる。
11)最後に、最初に書いた「今日のクラスに期待していること」の紙の前に行き、一つ一つ達成されたかを参加者と共に確認する。


p.91
川俣正(美術家)

ロックンローラーって、年間で何百日とコンサートする。そのコンサートの度ごとにハイテンションでやんなきゃいけないと。観客は、すごい盛り上がってるんだけど、演奏者も盛り上がっちゃうと演奏できなくなっちゃいますよね。狂いながら、ハイテンションを持続させながらパフォーマンスを見せるっていうのは、すごいテクニックだと思う。プロのロックンローラーっていうのは、非常に冷静で、計算されたエンターテイメントっていうか、越えないで越えたふりをするみたいな。それが、どこかにあると思います。

熊倉敬聡(慶應義塾大学教授・文化実践論)

日本の戦後の教育では、そうしたテクニックの学習が一番欠けていると思うんです。結局、それに関しては全面的に責任放棄してしまって、ただ単に言語的な情報の効率的な編集とアウトプットの教育ばかりしてきた。だからこそ、何かがきっかけで一種のトランス状態になったときに、自分がコントロールできなくなっちゃって、場合によっては、人を傷つけたり、殺したりしてしまう。