『瀬島龍三 日本の証言』

瀬島龍三 日本の証言―新・平成日本のよふけスペシャル

瀬島龍三 日本の証言―新・平成日本のよふけスペシャル


瀬島龍三さんは、日本陸軍のスーパーエリートコースを歩んでいて、大本営→関東軍という経歴で終戦を迎えて、その後は伊藤忠→臨調と進んでいる。ずーっと日本の中枢って感じね。この人のことはフジテレビの「平成 日本のよふけ」という番組で初めて知ったのだけど、そのときの収録分が本になったのがこれ。
瀬島さんのエピソードもおもしろかったのですが、自分的にヒットだったのは、「田中角栄って、やっぱり器でけー」と思うようなエピソードでした。メモにて。

p.237-238
臨調をやっていたときのこと。田中角栄に接待をしてもらったことがあったそうな:

そこに、土光さんと私が座って、真向かいに角さんが、デンと座ってね、いろんな話をしたわけだが、そのうち角さんがね、喋るのをやめて、座布団を直して正座をし、威儀を正して、土光さんに向かってこう言いましたよ。
「私の内閣を含め、歴代の自民党内閣がいろいろ不始末をやりまして、その後始末をご高齢の土光さんにお願いし、誠に申し訳なく思っております。田中派は、臨調の出される結論には絶対に服従をし、その実現に全力を挙げます」
これには、私はびっくりしたな。そしてね、角さんらしいんだ。そこまで言って、ずらりと居並ぶ家の子郎党(注:二階堂、金丸、竹下、橋本氏ら。そうそうたるメンバーっすね…)に向かって、
「お前たち、いいな」
って念をおしたんです。すると、みんな、
「はい!」
と、元気な返事をしました。


p.259

作戦を立てるときの心構えとして、私たちは「悲観的に準備をし、楽観的に対処せよ」と教育されたのですが、これはいまでも、いろんなところに生かすことができるのではないでしょうか。人間というのは、どうしても楽観的に準備をして、そして事が起きたならば悲観的になりがちですから。
非常に不遇で、非常に苦しい目に遭ったときに、山中鹿之助は三日月を仰いで、「憂き事のなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」と詠いましたが、私たちはそういう訓練を受けたわけです。