内田樹・春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』

健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)

健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 (角川Oneテーマ21)


タイトルにめちゃめちゃ惹かれたが、対談の中でちらりと出てくる一部分からとられたものだった(笑)

わからないものを理解するために、「自分自身の知的OSをバージョンアップする」というのはそのとおりだと思う。このバージョンアップ作業を常にしている人でありたい。それをしない人は、嫌い。

以下、メモ。


p.21(内田さん)

そんなふうに親の求めている部分に合致するところは受け入れられるけれど、それ以外は無視されるという育てられ方をすると、母親がやって見せたコミュニケーション遮断がボディブローみたいにじわじわと効いてきて、子どものある種のコミュニケーション能力を深く損なってしまうように思うんです。
そういう経験をしてきたらしい学生たちと話をしていると、話の途中で、何かがすっぽりと抜け落ちていることに気がつくということがあるんです。ぼくがしゃべっていることのうちで、どうやら「聞いている部分」と「聞かない部分」がある。
ちゃんとうなずきながら話を聞いているように見えても、ある瞬間から、ぷつんと回路がオフになって、もう何も聞いていない。だから、ぼくからおくられるメッセージはまるで「虫食い算」みたいにあちこち穴だらけなんです。それが「虫食い」状態になっているということに、ご本人は気がついていない。
僕はこれを「虫食いスキーム」と呼んでいるんですけれど、この「穴だらけの世界」が彼女たちにとってはたぶん自然な世界の見え方なんです。
例えば、本を読んでいて難しい箇所や知らないことばが出てきたとしますね。普通は読めない漢字があったら辞書で引いて意味を調べるとかしますね。そうやって新しい語彙を獲得し、言語運用能力を高めてゆくわけでしょう。ところが、「虫食いスキーム」の場合は、わからないところは、そのまま飛ばして読むんです。知らない単語があっても、意味がわからなくても平気で読み飛ばす。意味のわからないことばがあっても、それが「フック」しないんです。



だから、「わからないもの」を「わかりたい」という欲望が希薄なんです。


p.30(内田さん)

解決を急がないで、不決断にとどまるということは、たしかに気分が悪いことではあるんです。でも、先ほどの「虫食いスキーム」のときにも言いましたが、何だかわからないものに遭遇したときの「気分の悪さ」を解消するためには、二つしか方法がないんです。
一つは「なかったことにする」。これが安易な解決法ですね。
もう一つは「理解するために、自分自身の知的OSをバージョンアップする」。こちらは時間はかかるし、知的負荷もきつい。でも、ある知的なフレームワークから別のフレームワークに移行する過程においては、そのどちらも無効であるような「真空地帯」があるのは仕方がないんです。


p.52(内田さん)

就職活動をしている学生によく言うんですが、彼女たちはとにかく資格を取ったり免状を取ったり、TOEICのスコアを上げたりすることに必死なんです。キャリア形成ということを「しまっているドアを自分の力でこじ開ける」ことだと思っている。でも実際は、ドアはあちらから開くものであって、こっちからは開けられない。あっちから「どうぞ」って呼ばれない限りは開かれない。そういうものなんです。
(略)
「自分はこれがしたい」ということは一生懸命言うんだけれど、「自分は他人のために何ができるのか?」という問い方は思いつかない。でも、「誰が自分の支援を必要としているか?」という問いを自分に向ける習慣のない人間は社会的にはほんとうは何の役にも立たないんです。


p.224(春日さん)

人間が精神的に健康である条件について、4つばかり挙げておきたい。
・自分を客観的に眺められる能力。
・物事を保留(ペンディング)しておける能力。
・秘密を持てる能力。
・物事には別解があり得ると考える柔軟性。